JOURNAL SKIN
by : DIGIHOUND L.L.C.
〒658-0001
Higashinada, Kobe, Hyogo JAPAN
南の果てに着いた太陽が、もう明日から春に向かって北に戻り始めます。
我が家から見る南回帰線は、ちょうど南アルプスの笊が岳。夏至には甲斐駒よりずっと北上します。一年をかけて太陽は南アルプス全山を往復するわけです。
冬至というのはその折り返し点であり、他の歳時記とは違って、れっきとした天文学上の、壮大な分岐点なんですね。なんでこれを元旦にしなかったんだろうと思います。
古代人は、暗く寒い冬から、暖かい春に向かうこの分岐点を待ち焦がれ、神聖な日としていたことが、数々の遺跡からうかがえます。
私はというと、活動的な季節へ向かうのはなんとなく嬉しくなく、夜明けや夕暮れを堪能でき、縮こまっていられる(笑)この季節が好きです。
寒々とした広河原から、下山する数人の登山者を乗せ、甲府行き最終バスにのった。
もうほとんど暗くなった芦安駐車場につくと初老の登山者が訊いてきた
「駐車場はここでしょうか」 閑散として暗いので不安になったのだろう
「ここしかないですから大丈夫ですよ」 そう答えると「ありがとう」と降りていった。その先にステーションワゴンがあり、そちらへ歩いて行った。
単身赴任先の静岡から、遠路北陸の能郷白山に向かった。
この頃は森林限界が低くメルヘン的な北陸の山に惹かれていた
南アルプスの蝙蝠尾根から仙塩尾根を経て北沢峠まで、テント5泊の山旅を計画した。
2日目の蝙蝠岳直下。頂上に泊まろうと思ったら激烈な雷雨に襲われ、間一髪でハイマツの中に逃げ込んだ。
翌朝、テントを撤収すると、くっきり一夜の生活スペースが浮き彫りになっていた。この狭いスペースで雨をしのぎ、漆黒の深山の夜にくつろげる。人ひとりの生活空間は本来これだけあれば十分なのだ。(笑)
おまけに座ったままですべての衣食住を処理できる。この暮らしに慣れてしまうと、下山してすべてのことが立ち上がらないとできない日常生活がなんと億劫なことかと思えてしまう。
このザックのなかに5日間の衣食住のすべてがあり、これが家であるといえる。これを背負い単独で寝泊りしていると野生に近くなったと自負するがとんでもない。たかが夏の5日間を過ごすだけで25kgほどの大荷物になってしまう。たいして野生は手ぶらではだし、全裸?である。さらに驚異なのはそれで厳冬期もしのぎ何十年も暮らす。同じ哺乳類でありながらこの生活力の違いはなんだろうか。
しかし一夜の褥とし体を横たえた土地を立ち去るとき、普段なら感ずることのない。その地への恩義が、なごり惜しい。
「罪と罰」に罪を犯した青年が良心の呵責から大地にキスするシーンがあった。北海道の方々もよく「大地」への思いを口にする。ロシアや厳しい北国の人の心に、むしろ大地への思いが強いのはどうしたことだろう。
白根南嶺を笊ヶ岳まで歩く途上、転付峠の石碑に、こう彫ってありました。
転付峠は山梨の早川から静岡の大井川の源流域へ越える旧い峠道、行程は7-8時間程。二軒小屋に入るなら椹島経由より案外な近道でもあります。
… 御巣鷹山 …
あの8/12の夕刻は山梨に帰省していて、薄暗くなったころ東方に戦闘機のような爆音を聞きました。その後暫くして123便が行方不明との報が入りました。
後日の航跡図によると、尾翼を失いノーコントロールになった123便が大月上空で大型機とは思えない360度の急旋回をしてるんですね、爆音はその時のものだったのです。
甲斐駒から鋸岳へ 友人Sのクライムダウン
私なら遥かにブザマなフォームに違いない
車検で預かった神戸ナンバーのタクシーを感染状況から自粛で引き渡せず二か月近く乗った。