JOURNAL SKIN
by : DIGIHOUND L.L.C.

〒658-0001
Higashinada, Kobe, Hyogo JAPAN

2025年03月06日 21時57分

2025  picture diary


null
遅い春に 大菩薩に淡雪の朝 今日も0554高尾行 定刻発車

null
勝沼ぶどう郷発 0554分発高尾行 行ってらっしゃい
凡事徹底 この日常の尊さ

null
遠州森町の 見上げるあかりのなか お雛壇が見えた夜

null
二月に亡くなった友人のお悔みに伺ったあと
小高い山の公園に寄った まだ冬枯れだが春めいてきた道
そこを帰る 何気ない家族のうしろ姿 
私には もう過ぎた時代 彼にもあった家族のとき。。
ふと見る他人の日常のなかに 自分にもあった幸せを見る

null
蜂城山から降りてくると 坂の上に春めいた雲があった
ここから見る雲には いつも季節の移ろいを感ずる

null
「雲の影」というピンク フロイドの茫洋とした曲があった
影のない純白な雲。。そこに何か胸に沁みる幸福を感ずる

null
2月最後の蜂城登拝 孫の高校合格のお礼参り
null
甲斐駒の夜明け


カテゴリー: 総合 | 執筆者: kazama [ 続きを読む ]

2025年03月04日 23時08分

遠くへいきたい。。


null

‥ 遠くへ行きたい
呪文のように入れてみる
女性から頂いた写真を額に入れて
ローソクの灯りで撮ってみる
どこの街だか知らない歩道を
遠くに犬の散歩のような人が
この夢の中のような額のなかに
入って行きたい‥遠くへじゃなくても
この望洋とした あるのか分からない
曖昧な世界に 行ってみたい
去ってゆく冬への ノスタルジー?


null
 枕辺に届く 遠い海鳴りの音。。 
この冬は なぜか日本海へ行けていない。。
この街並みは 何処だったろう 餘部から丹後へのどこか
濡れた路 板塀の家並み 誰かの望郷を つい慮る

null
ふるさとの 
潮の香にあり 
三が日

null
雪の残る家並み 郵便配達のバイクが 尊い日常を支える

null
京丹後市 網野町あたり 丹後半島の突端 経が崎への路

null
旧い親戚のような 灯りのぬくもり
浜坂の湯村の夜の様だ と友人がいう
ここは船宿の伊根 


カテゴリー: 総合 | 執筆者: kazama [ 続きを読む ]

2025年02月18日 16時04分

出雲崎から角田岬 能登猿山へ

山の仕事を終えてから例年日本海へ行っていたが
遠のいていた。大寒波から雪のたよりを聞くにつけ 
情念の海に惹かれ、糸魚川へ向かった
null
山から海へ。。甲斐駒の勇壮な姿に見送られ海へ向かう

null
甲斐駒から更に険峻な鋸岳への、息詰まるルートを回想する

null
第二高点から鹿穴ルンゼへの下降
落石の巣のようなルンゼを登行したあの日

null
甲斐駒は氷瀑の殿堂 黄連谷の全貌を見せる

null
日向山八丁尾の雄 烏帽子岳 松濤明も辿った頂

null
高速SAの通路がこの豪雪で埋まる

カテゴリー: 総合 | 執筆者: kazama [ 続きを読む ]

2025年01月06日 21時08分

時間とはなにか

時間とはなにか …
null

元日などにふと思うのは、今日がどれだけ特別な日なんだろうという疑問…ほんとはただの1日に過ぎないが、それに暦という連番で数量化し、共通化したのは偉大なことではある。
しかし時間という実体はなく、時間とは単なる概念ではないだろうか。時計は時間ではなく時計でしかない。さらに昨日より今日の方が後であると言い切れるのか、原因が先で結果が後と言い切れるのか…
エントロピーの法則というのがあって、万物は崩壊する方向にしか変化しないという定理である。たしかになんでも風化して行く。しかしそれも風化が後だとはいい切れなくて、原材料に戻って行くようにも考えられる。
今が前より後だと感ずるのは自分自身に寿命があって、老いへ向かうという、生身の感覚で万物を見るから、そう見えるのではないか…
時間というのはひとえに命限りある生物の感覚なように思う。自然界には時間はなくて、ただ現象があるだけではないだろうか。
しかし死んでゆく自分が、万物の本来の原材料に戻って行くだけであり、岩石や空をゆく雲などの側に戻るだけだと思えば、けっこう救われる気がする。

カテゴリー: 総合 | 執筆者: kazama [ 続きを読む ]

2024年12月26日 21時00分

2024  picture diary


null
冬至信仰の私ですが 
大晦日から元旦の新年の行事は
無視と想っても呑まれます(^^)
入院してる友人から 消灯延長
6人部屋の五人で紅白みてるそうです
病院の年の瀬…沁みますね
私事喪中のため 新年の挨拶を控えさせて頂きます
どなたさまも良い年をお迎え下さい

null
祈り

null
これが今日の そして今年の 最後の陽ざし
あそこにはまだ 今日があるのを 消えるまで見届ける

null
淡雪の蜂城参道

null
12月19日 月の出 今年もあと僅か
null
5時55分勝沼初の始発電車 乗務員の方 おつかれさん

null

null
いよいよ冬姿が定着した甲斐駒

null
あの雲の中はすでに薄暗いのだろうか 雲にはまだ今日の残照

null
ついに甲斐駒ヶ岳が白くなった

null
夜明けの大菩薩嶺に光、、登山者のヘッドランプ??
LEDがこんなに透過力があるのだろうか。。

null
1202 6時38分 11月の細い月が 朝の空に呑み込まれてゆく

null

null

goodbye 2024 December

null
ぶどうの黄葉と 雲海のような朝霧

null
goodbye September

null
秋の意匠。。積乱雲の威厳を保ってはいるが

null

ゆく八月‥
どこへ?トキの冥宮ってあるのか,そんな想いが昔からある
8月31日‥それだけで唄のタイトルになりそうな字並び 
明日から学校という絶望感に打ちひしがれていた私(^^)
あの子がよく,今日までやってこれたと想う 
夏の翳りの畑の写真‥ ニーノ,ロータの
『太陽がいっぱい』を彷彿とする,
アランドロンが逝った八月
彼こそが人類の美の頂点だったと想う,いかに美貌の女性でも,
あの生い立ちからの愁いには敵わない
美には陰が必要なのだと想う

null

生まれるまえからあって
死んでからもずっと 続いてゆくもの
命をこえたものを しかと見ておきたい
それが この世に生まれてきた意味
永遠が見える
そう呟いてみたい


カテゴリー: 総合 | 執筆者: kazama [ 続きを読む ]

2024年12月21日 18時34分

祝冬至

null
冬至にはいつも 新年にも増して特別な想いがあります 

20161221-dscn8589.jpg

南の果てに着いた太陽が、もう明日から春に向かって北に戻り始めます。

我が家から見る南回帰線は、ちょうど南アルプスの笊が岳。夏至には甲斐駒よりずっと北上します。一年をかけて太陽は南アルプス全山を往復するわけです。

冬至というのはその折り返し点であり、他の歳時記とは違って、れっきとした天文学上の、壮大な分岐点なんですね。なんでこれを元旦にしなかったんだろうと思います。

古代人は、暗く寒い冬から、暖かい春に向かうこの分岐点を待ち焦がれ、神聖な日としていたことが、数々の遺跡からうかがえます。

私はというと、活動的な季節へ向かうのはなんとなく嬉しくなく、夜明けや夕暮れを堪能でき、縮こまっていられる(笑)この季節が好きです。

20161221-dscn7823.jpg

カテゴリー: 登山 | 執筆者: kazama [ 続きを読む ]

2024年12月19日 11時45分

…こぴっとひと言…

 以前に関西の関西の友人からNHKドラマ「花子とアン」の山梨弁のリアリティについて聞かれた。
役者の板につかない山梨弁には親近感を感ずるが地元としては多少の違和感はある。しかしその微妙なニュアンスまで演技に求めるのは酷だろう。一般的に演技というのは誇張気味に表現しないとメリハリがない。実際にはそこが現実との違和感につながっているのだが。。
「こぴっと」という言葉のユニークさが注目されているようだが、ドラマではいくぶんニュアンスが違って使われている。「しっかり」という意味は間違ってはいないのだが使う場面が微妙に違う。「こぴっと」は水準以上の「しっかり」には使わない。文化講演をこぴっと行う、なんて使い方ではなく、堕落して酒浸り(笑)の生活に対して、「もちっと、こぴっとせにゃあ」みたいな使い方である。より良くではなく、せめて人並みにという感じだろうか。叱咤激励のなかの叱咤の部分であり激励に使う言葉ではない。だからコピッとしろといわれた人はかなり水準以下であることを認識する必要がある。
しかしドラマで違う使われ方をしているかといって間違いとまでは言えない、元来が口語は慣用語だし方言はさらにその性格がつよい。誰かが言い出して定着すればそうなってしまう。時代とともに本来の意味とは違うものになった言葉はいくらでもある。
ただドラマでの使い方では。ほんらいの「こぴっと」の微妙さが発揮されていないと言える。方言の持ち味というのはその標準語に翻訳できない微妙さにある。 言葉はひとり歩きをしてコントロールはできない「こぴっと」は今になって狭い山梨から、いくらか行儀のよい衣を着て歩きだすのだろうか。
しかし私は相変わらずの意味で、こぴっとしなければいけないと思っている。

カテゴリー: 総合 | 執筆者: kazama [ 続きを読む ]

2024年11月28日 21時04分

ぶどうの黄葉 田園のエピローグ

null

春は桃の花一面の桃源郷からはじまり
果実をもたらし 各地の人のしあわせと
地域を支え 役割を終え はらはらと地に帰ります
また来年が 幸せな世でありますよう
 

カテゴリー: 総合 | 執筆者: kazama [ 続きを読む ]

2024年11月01日 17時39分

--- 広河原発甲府行き 最終バスにて ---

20151218-img_0276_01.jpg

もう登山シーズンも終わりかけた11月初旬のころ---

寒々とした広河原から、下山する数人の登山者を乗せ、甲府行き最終バスにのった。

もうほとんど暗くなった芦安駐車場につくと初老の登山者が訊いてきた

「駐車場はここでしょうか」 閑散として暗いので不安になったのだろう

「ここしかないですから大丈夫ですよ」 そう答えると「ありがとう」と降りていった。その先にステーションワゴンがあり、そちらへ歩いて行った。

カテゴリー: 登山 | 執筆者: kazama [ 続きを読む ]

2024年09月28日 21時04分

槍の一歩

20240928-img_5071.jpeg

40歳の記念に北鎌尾根を目指した
その頃はまだ貧乏沢からのルートはなく夜行で大町駅を降り高瀬川を遡った。朽ちた吊橋を渡り千天出会の渡渉ではロープを使った。夜行から北鎌沢出会のビバークまでの長い行動はバテた。
翌日は好天に恵まれルートファインティングを愉しみながら独標を超え,ルートに確証のないテラスで月下のビバークが沁みた。
北鎌からの槍は立って見えて登攀が気になったがチムニーも楽しく登り夏山登山者で賑わう槍の頂上へ北鎌のフィナーレ‥辿って来た高瀬川を感慨深く眺めた。ここからは一般ルート,降りに向けての一歩がヌルッと滑りヒヤリとした。北鎌の静寂から一転し,過度の登高に岩が摩滅し,加えてゴムの跡のような感触‥これは却って気を引き締めねば危ない,と緊張した。槍の登山道と言えば極度に利用され手垢にまみれ‥既に娑婆が始まっているのだ‥それが初めの一歩の感触だった。
 この山行は西穂までの予定だったが奥穂で雷雨に見舞われたのを口実に中断した,惜しいとは思わなかったが今思えば北鎌から西穂までの縦走をしたかった。

カテゴリー: 登山 | 執筆者: kazama [ 続きを読む ]

2024年09月09日 08時03分

忘れ得ぬ山 … 晴れた能郷白山にて …

null

単身赴任先の静岡から、遠路北陸の能郷白山に向かった。
この頃は森林限界が低くメルヘン的な北陸の山に惹かれていた

カテゴリー: 登山 | 執筆者: kazama [ 続きを読む ]

2024年09月02日 22時45分

人間の土地   蝙蝠岳の避雷地

南アルプスの蝙蝠尾根から仙塩尾根を経て北沢峠まで、テント5泊の山旅を計画した。

2日目の蝙蝠岳直下。頂上に泊まろうと思ったら激烈な雷雨に襲われ、間一髪でハイマツの中に逃げ込んだ。

翌朝、テントを撤収すると、くっきり一夜の生活スペースが浮き彫りになっていた。この狭いスペースで雨をしのぎ、漆黒の深山の夜にくつろげる。人ひとりの生活空間は本来これだけあれば十分なのだ。(笑)

20131012-image143_00.jpg

おまけに座ったままですべての衣食住を処理できる。この暮らしに慣れてしまうと、下山してすべてのことが立ち上がらないとできない日常生活がなんと億劫なことかと思えてしまう。

このザックのなかに5日間の衣食住のすべてがあり、これが家であるといえる。これを背負い単独で寝泊りしていると野生に近くなったと自負するがとんでもない。たかが夏の5日間を過ごすだけで25kgほどの大荷物になってしまう。たいして野生は手ぶらではだし、全裸?である。さらに驚異なのはそれで厳冬期もしのぎ何十年も暮らす。同じ哺乳類でありながらこの生活力の違いはなんだろうか。

しかし一夜の褥とし体を横たえた土地を立ち去るとき、普段なら感ずることのない。その地への恩義が、なごり惜しい。

「罪と罰」に罪を犯した青年が良心の呵責から大地にキスするシーンがあった。北海道の方々もよく「大地」への思いを口にする。ロシアや厳しい北国の人の心に、むしろ大地への思いが強いのはどうしたことだろう。


2013/10/12

カテゴリー: 登山 | 執筆者: kazama [ 続きを読む ]

2024年08月29日 15時01分

北岳と若狭富士(青葉山)

null
( 栗沢の頭より北岳 )

日本の高峰の一二位を占める白根三山の縦走に際し
名高い大門沢の急登から農鳥へ登り、間ノ岳から北岳を経て降りてきた
若い女性2人に訊いてみた
『キツい大門沢をなぜ降りにしなかったんですか?』
ボーイッシュな方の女性が応えた
『北岳を目指して登りたかったんです,でも雲で見えなかった』
もう1人の彼女も頷いて笑った
‥ なんたる山への純真 こうならなければだめだと思った
難易度や合理性で行動するが,大切なのは 
それが憧れや心を満たすかどうかだ。
聞けば福井から来たという
若狭の海からの青葉山の姿に憧れ神奈川から行った話をすると驚き喜んだ
あの秀麗な姿,意外にも鋭い頂稜は若狭富士と称すに相応しく想えた。
ふたりが運んできた若狭の空気…滲み出るその郷土愛
14時30発の奈良田行きバスから手を振っていた 
ふたりの山に幸あれと思う

null
( 若狭湾に青葉山 )
null

カテゴリー: 登山 | 執筆者: kazama [ 続きを読む ]

2024年08月22日 14時50分

涼 二千二十米--- 

20150819-img_2268_01.jpg

白根南嶺を笊ヶ岳まで歩く途上、転付峠の石碑に、こう彫ってありました。

転付峠は山梨の早川から静岡の大井川の源流域へ越える旧い峠道、行程は7-8時間程。二軒小屋に入るなら椹島経由より案外な近道でもあります。

カテゴリー: 登山 | 執筆者: kazama [ 続きを読む ]

2024年08月15日 11時04分

八月十五日。。

null
…炎天の静寂のなか 遠くから流れるような天皇陛下の声…
日本の解体という不安感や万人の覚悟が.
どんな山村の隅々にまでも染み渡っていった夏の日…
どんな脚本家でも.これほどの場面は描けない。
null

終戦があと半年早かったら…沖縄戦も集団自決も.大和の特攻も.
本土空襲も.広島も長崎も.ロシア参戦もなかった。…
310万と言われる犠牲者の半数近くが救われたのではないか。
しかし見栄と面子で決断出来ず、完膚なきまでも叩きのめされ
あたかも無能な経営者による倒産のような一般的事例を
国家に当て嵌めるには.あまりに事柄が大きすぎた…
史上唯一の被爆国でありながら犠牲者の怨念に報いる
核兵器禁止条約の批准も出来ない
従属的立場の国家…それは私たちが受け入れざるを得ない
残債なのだろうか

null

カテゴリー: 総合 | 執筆者: kazama [ 続きを読む ]

2024年08月12日 11時27分

日航の頭 を想う

20200811-dscn6344_00001.jpg

          … 御巣鷹山 …
あの8/12の夕刻は山梨に帰省していて、薄暗くなったころ東方に戦闘機のような爆音を聞きました。その後暫くして123便が行方不明との報が入りました。
後日の航跡図によると、尾翼を失いノーコントロールになった123便が大月上空で大型機とは思えない360度の急旋回をしてるんですね、爆音はその時のものだったのです。

カテゴリー: 飛行機 | 執筆者: kazama [ 続きを読む ]