JOURNAL SKIN
by : DIGIHOUND L.L.C.
〒658-0001
Higashinada, Kobe, Hyogo JAPAN
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この山の大変さは単調ゆえ.はかどっている実感がなく.精神的にめげやすい事に尽きる。
草木一本ない大斜面を.ひたすら堪えて歩く。登山の原点を.これほどシンプルに問われる山はない。
それを訓練とか修業と捉えるなら.格好のステージである。しかも到達点は日本国最高点という精神的達成感もある。
私は富士山を登山訓練として度々登った。写真は御殿場口二号目.長いのであまり利用されないルートである。
テントを背負い.ここから頂上まで8時間.すべてを諦め.ただひたすら歩く。
義母の母の郷… 上総湊… 何度も墓参りに行った懐かしい風景。
夏にこそふるさとの情感があるのはお盆だからか…
養蚕農家出の私には葵の花咲くこの頃が お盆にふさわしく感ずる
春に亡くなった義母の はや新盆になる
ふるさとに父母の世代はとうに亡く
果樹地帯に変貌し、当時の養蚕地帯の面影はない
点在する切妻農家、僅かに残る葵の花の周辺に
子供の頃の空気がよどみ 父母の気配がある
大蔵高丸への道
私もその日は、数知れず繰り返した目覚めてから出勤の一連のことの、そのすべてがこれで最後というその感覚を噛みしめ、人つき合いの薄い変人の私がここまでやってこれた社風に感謝した。
寂しさと解放感がないまぜになった、人生にそうそうない記念日を無事に迎えられためでたさもあった。
( 300mmF2,8の撮影用レンズに接眼鏡を付け撮影した )
朝から厚い雲に覆われていたが10時過ぎごろから雲間に見えてきた記憶がある。
天文現象の見え方は大概がとても小さく、興味のない人は地味で失望するだろう。
太陽を望遠鏡で直接見ることは危険なので画用紙に投影したものを撮影した。
( 福井県 能郷白山にて )
近所の山から降りるとき右の踵に痛みを感じ、びっこを引きながら帰宅した。
靴を脱いでみると妙に出っ張ってるきがする。最近しげしげみたことはないから、こんなもんかとも思ったが左より出っ張りは大きい。
痛みは治まったが、もしや骨折でもしたのかと思い、整形外科に行ってみた。
( 弟が私が卒業後にポンコツYDSをここまで仕上げた労作 )
父が保管していた小学校時代の通信簿を実家の兄が送ってきた。
改めていかに問題児だったかを目の当たりにし、打ちひしがれた
振り返ってみて人生最悪の時期だったのは仕事の苦労にもまして幼稚園から小学校低学年の頃だった。
幼稚園には毎朝のように登園拒否をし、親を困らせた。業を煮やした父が、暗い土蔵に入れると脅しても、幼稚園に行くぐらいなら土蔵に入るという私には効き目がなかった。
保母さんが家まで迎えに来ることも度々。父が癇癪をおこし、私を土埃をあげて引きずっていく光景が何度もあったと姉がいう。
保母さんはそんな私をなんとか集団に溶け込まそうとし、休日に街までつれて行き車の絵本を買ってくれたりもした。
私は病弱でもあって度々熱をだした。幼稚園で熱を出し園長さんの家の畳に水枕で寝かされたことがあった。
枕元で園長のおばさんと保母さんが介抱がてら庭を眺めながら雑談していた。私を慰めたり元気ずけようとほめたりするのが面映ゆかった。
私はもじもじするかのようにゴムの水枕の金具の辺りをまさぐったのだろう。その指がロックを外し、水枕の水がいっきに畳に拡散していった。
先生たちのスカートにまで達した水で事態にきずき、「あれまあ、困ったよう」と慌てさせた。
私が金具をいじった結果だと言えなくてだまっていた。介抱され、慰められたあげくの水攻め。。。なんというドジなことか。。
この事件は私の劣等感をさらにつのり、集団不適合の度合いを強めた。
甲州の笹子といにしえの鎌倉街道を結ぶ峠の摺針峠に行ってみたかった。
この山域は超マイナーと言ってよく、私にとっても真空地帯である。
山にある峠の多くが現代では役割を終えていて、単なる稜線の弛みであることが多い。
なんとか旧来の峠道の痕跡がないだろうかと、バイクで御坂から入ってみた。