JOURNAL SKIN
by : DIGIHOUND L.L.C.
〒658-0001
Higashinada, Kobe, Hyogo JAPAN
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11月9日で南アルプス林道が冬季閉鎖になり登山バスの運行も終了した。
6月25日に林道開通し、まだ登山者には残雪注意のなかの新緑の時期だった。
7月になり梅雨明けの登山最盛期の賑わいにしばらく気を取られているうちに、8月になると朝晩の気温が下がりはじめ、高山にはひそやかな秋の気配が忍びよる。
やがて稜線のダケカンバが黄色く色づきはじめ、紅葉が山腹を降りてくる。人々が短い錦秋に魅せられるころ、3000mの稜線にはもう雪が舞う。今年は10月の11日という早さだった。アイゼンの装備などが必要になった高峰は格段に気難しくなり、登山者を締め出すような冬山の貌に戻っていく。
11月4日で北沢峠までのバスが終了になった。3日の初冠雪にアイゼンを探したが見つからない。
バスダイヤと所要時間を勘案してキチキチなのと、数日前から体調不良なので栗沢の頭からの展望で我慢した。
行ってみたら雪は消えてスッピン状態。誰もいない無風快晴の甲斐駒に登れた最後のチャンスだった…
不甲斐なさを責めても仕方ない。この日は東は奥多摩から西は北陸の白山まで見えるクリアな大気…
『… 永遠が見える』…そんな大展望だった。
つい半年ほどまえ、この辺りは桃源郷と称され、見渡す限りの桃の花だった。
空はまばゆい光に満ち、足元にはレンゲやタンポポが賑やかだった。
農家は桃や葡萄の最終段階で忙しく、どの畑にも丹精を込める人が見えた。
山の始発バスの仕事が板についてしまい
休みなのに3時に目が醒めてもう眠れない
窓に絢爛豪華なオリオン座が出ていた
めぐる星空の季節をもう何十回見てきたことか
これから老い先にこの空がどう見えるだろうなんて
眠れないときはろくなことを考えない
この画像の撮影データによると2004年10月23日1756になっている
つまり撮影した一分後に新潟中越地震が起きたことになる。
山のせいか揺れは感じなかった。
テントでFMラジオを聴いて驚いたが ずっと安否確認が流れていた。
地震が起きたとは知らなかったから、この雲の下で何が起きているのだろうかと思った。電話は回線パンクだろうし、それ以前に圏外だから家族と連絡はとれない。
見渡す限りの雲海の上にいるのは私ひとりだ。
下界が大変なことになっているというのに
俺はなんと能天気なことか、、、、
あの孤独な雲上の夕刻から11年が経った。
(4DR5)
ジープに乗り始めて間もない頃、私もご多分にもれず4WDの能力を過信していた。
最初に買ったのはJ30だった。購入動機はあのスタイルが総てだったからフロントドライブはおまけ程度に思っていた。しかし機能は試したくなるもので次第にオフロードに行くようになり、例のたて溝のオンロードタイヤでろくにレスキューツールも持たず雪山から精進湖林道まで行った。たいがい家族連れで単独だったから今思えば冷や汗ものだった。
私は元来バスやトラックが好きだったからディーゼルエンジンへの憧れがあり、やがて4DR5のJ-36に乗り換えた。非力で瞬発力はゼロ、小回りは効かず鈍重そのもの、牛のような車だったがその弱点の総てがあのフォルムによって許容されてしまう車だった。
死の淵をのぞいていてきた人の話を聞くと、驚くほど共通した部分がある。
しかしそんな世界があるのではなく、脳の幻覚によるものではないかと思う。
だとしたらなぜ似通った幻覚を見るのだろうか?。
それは人という動物が辿った進化の過程に遠因があるような気がする。