JOURNAL SKIN
by : DIGIHOUND L.L.C.
〒658-0001
Higashinada, Kobe, Hyogo JAPAN
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( 匂い )
大阪で育った引っ込み思案の次郎は,体育は苦手で勉学もぱっとせず,高校受験に落ちた。
私立高校は経済的理由で断念し、名古屋の小さい工場に勤めることになったが、家恋しさのあまり休みの度に帰る次郎を船員上がりの父親は苦々しく思った
ある平日に次郎は工場を早退し家に帰ってきた。父親は怒って今夜家に泊まることはならんと追い返した。
しょんぼりして帰る次郎を、子供時代から知っている近所の人たちは哀れんだ。。
次に帰ってきて一晩泊まった朝、次郎は何処で手に入れたか大量のヒ素を飲んだ。
血の気のない顔で口から泡を吹き、ぐったりした次郎を、父親は吐かせようと抱き起した。
そのとき不意に、久々に次郎の匂いを嗅いだ。。
それは船員時代に別れを惜しんで抱いた、まぎれもない我が子の匂いだった。。
小山城址の桜が終わるころ 城址の下の桃が咲き始める
その夕刻に見せる艶やかさは 桜の奥床しさと対照的
( 80年前と現代の普遍性 )
「アメリカが全力で戦った国の中で、日本人ほど気心の知れない相手はなかった」
この本の書き出しにはそうある。そのために女性の文化人類学者のルース・ベネディクトが当時の戦時情報局から敵国日本を知るための研究課題として与えられたのがこの本の元になった。
日本が開戦にあたり敵国に対し、このような研究をしたろうか、鬼畜米英などという言葉の印象しかない。
秩父山地から南下した尾根が石和で終わる末端に山崎の山がある
過去の処刑場が石切場となり、その荒廃した様が子供心に怖かった
南無妙法蓮華経と彫った巨大な石碑が立っていた記憶がある
山崎の古跡の探訪と、意味ありげな八人山へ登りたくなった
はや2月がおわる 甲斐駒の赤石沢の朝日の向きが北寄りに。。
赤灯とサイレンを撤去し、晴れて民間用8ナンバーを取得
RVマニアから注目、中を見せてくれと度々。伽藍堂に沈黙(笑
弟一家の正月帰省風景 ニッサン4w73トラックにて
これだけの異彩をファミリーカーとして楽しんでいた。
9/16 軽トラでも四駆のトラクションは威力を発揮する
キャブオーバー故の視界と小回りはジープジープに勝る局面多々
昇仙峡に ずっと置いてあるV8
往年の顔ぶれ
私がプリンスに乗っていた頃,この55/56は4リッタ-もの6気筒を積んだ横柄なイメージがあった。事実金持ちのハンター御用達が目についた。遅いジープと違い120ぐらいでデカイ面して追い越し車線を退け退けとばかりに…40との豪勢なコンビが60になった時はガッカリしたが今となれば60にはやはり大陸的な魅力を感ずる。
私がもう一度乗りたいとなればこのプリンスになるのは時代への懐かしさからくるのだと想う。
iPhone12でのミニチュア撮影