JOURNAL SKIN
by : DIGIHOUND L.L.C.
〒658-0001
Higashinada, Kobe, Hyogo JAPAN
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『キエフの大門』はエマーソン.レイク&パーマー の前衛ロック
『展覧会の絵』の終章
私はピンク,フロイドを契機にプログレッシブ,ロックに心酔した。
当時ELPと言われた神がかりの演奏技術の3人がムソルグスキーの大曲をモチーフに世に問うた曲。20代そこそこの若者がこの壮大な曲に取り組むことに驚いたけれど,ヨーロッパにはクラシック出のミュージシャンが多い
( 北鎌尾根 )
北アルプスの槍、穂高連峰を南下すると、のっけから最難関、北鎌尾根で始まる。
槍ケ岳から一般ルートになり、大キレットの巨大なギャップを経て奥穂高に至り、厳しい岩陵を南西に伸ばして西穂高に達する。全行程は4日ほど、これだけの長い岩陵は他にはない。
私はこの縦走を友人と共に目指したが、北鎌尾根というメインイベントが終わり、奥穂高で豪雨に襲われたことを自分への口実として下山した。本当は北鎌で終わった緊張感を、奥穂から西穂への濡れた岩陵を辿ることで再び奮い立たさねばならないのが嫌だったのだ。その時は大して惜しいとは思わなかったのだが、日が立つにつれて自分の不甲斐なさに腹が立つばかりだった。
山は逃げない、という言葉がある、どういう時に使うかというと、たいてい失敗とか挫折して山を降りるとき、また来ればいいさ、という意味で使う、それが単なるまやかしであることは当の本人が一番よく知っている。こう呟いて帰るしかないのだ。しかし人生はそう長くはない、中年の下り坂の体力で山を見ると、それは膨張する銀河のように遠ざかっていく。
県道を外れ、九頭竜左岸の古道を西へ向かう
オプティマスのガソリンコンロはガスの時代になってからは
低温に弱いガスに比べ火力の要る冬山にしか使わなかった。
テントに潜り込み,やっと暖をとりレトルトやコーヒーを沸かす‥
8Rの燃焼音。。いじましいような、ささやかな幸せの時だった。
もう冬山は行かないだろう、ヤフオクにと見たらこの使用感。
10歳若ければ部屋に置いたろう…あえてこの貫禄で出品したら
九州の方が落札した。8Rは憧れた久住の山でも行くのだろうか…
40年近く家にあった8Rは,ヤマトのカウンターに置いてきた。
慣れ親しんだ道具との別れは同時に、ひとつの時代への別れだった
芦安始発 夜明けの美しい時間
オフロード好きの私がエンジンに惚れて買った唯一のロードスポーツ、ヤマハTX-500。
ツインの180度クランクのパルスと官能的な高速域に魅了された。
ライバルのヒットした4気筒のCB550とはムキになってバトルした
TXの無類の操縦性と高速域のパワフルさは素晴らしかった。
当時マニアック(変態?)だったオイル引きのベルスタッフを着て出かける朝のシーン
( 野呂川林道開削記念碑 )
五月末のある日、私は野呂川林道(南アルプススーパー林道)で写真を撮っていた。
三脚を立てた場所は、この林道のなかでも際立って険しく、観音峡と呼ばれる高度感のある所である。V字型に深く切れ込んだ谷の対岸に間の岳が三千メートル峰の貫禄で残雪豊かに聳えたっていた。
私はトンネルの出口で、4X5のカメラを構えていた。大判のカメラは1カットが手間がかかる。私はカブリ(黒い布のこと)の中で逆さまに映るピントグラスを覗いていた。ふと耳元でささやく様な声がする。誰か話し掛けたのかとカブリから出ると人影はない。左のトンネルから風が吹いてくる、声はその中から断続的に聞こえて来る。その調子は歌のようだ、風のいたずらか?と聞いて見てもやはり人の声に聞こえる。それは木曽節や炭坑節のような労働歌の様である。誰かがこの長いトンネルを歌いながら歩いてくるのだろうか、しかし声は近ずいて来る気配はなく、時には大勢がドッと笑ったり、かと思えば再び耳元で囁きかけるように聞こえたりするのだ。 私はゾッとして三脚ごとカメラを担ぎ、トンネルから離れた。