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2014年03月10日 18時59分 | カテゴリー: 飛行機

航空事故調査委員の頃.....木更津B29墜落現場  

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   だったらよかったけれど---でも一応戦後生まれですから、すいません。---

実際は横田基地でのモトクロスコース下見のとき、コース脇のB29-D(B50)。

機内に乗り込むとススで真っ黒、事故機を消化訓練機に転用したらしい。
   小学生のころ、B29をパワーアップした、横田の気象観測用のWB-50が毎日のように、西へ飛んでいった。

偏西風の強い日は向かい風で、白いジュラルミンの機体が、止まってるように見えた。盆地上空にいつまでも四発レシプロの音が重苦しかった。

   B29は18気筒54リッターのピストンエンジンが四基、合計72気筒、21万CCのハーモニーである。   今の時勢ではレシプロ4発という機体は皆無であり、それはいまのターボプロップの音よりずっと重低音である。

   たった一機でも盆地を覆い尽くすような重い音が、何百と押し寄せた戦時中はどんなだったろう。   甲府も7月7日の深夜から8日にかけて空襲を受け、数時間のうちに街は壊滅し千名を超える死者がでた。   当時小学生だった兄は西の山の空が赤く染まり、130機と言われるB29の唸りを覚えているという。

   そして3月10日の夜は、東京の木造家屋の延焼を狙った猛爆で10万ともいわれる死者を出したB29。   そのジュラルミンの肌を、10万の生命の劫火で赤く染めた、鬼気迫る夜が現実にあったことに胸がしめつけられる。

   そしてそれが天災ではなく人為的なものであり、周到な準備と修練と、団結と忍耐と、そしてまた誠意と---技術と人間の能力を集結した、その最終的なアウトプットであり結実であるということが虚しい。

         犠牲者のご冥福をお祈りいたします

執筆者: kazama

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