2025-12-2513:31

皿のかけら

二つに割れていた 皿のかけらが捨てられるとき 

軽く触れ合って  さよなら、と言いあった…

新聞で見た 詩人の吉野弘さんの詩の一部だ

皿は割れたらもう 皿ではなくて、ただの瓦礫に過ぎない

皿の破片など 誰も顧みる人はいない でもそれゆえに

 ひそかに去ってゆく哀切さに  心を寄せたのだろう

私はゴミを集積場に置くとき 密かに『ありがとう』と言うようにしてる

我が家に 共にいたモノとのお別れに そう言ってやりたい 

私は死に対して 肉親とのお別れのその先に 自分との別れがあると思っている

自我をなくし 自分であることを止めるのが 死の締めくくりの メインイベントだと思う

家族には いままでありがとうと言うだろう では自分とのお別れに、どう言えばいいのだろう

そのことはいまだかって誰からも、聞いたことも、読んだこともなかった

この二行の、かっては一つだった皿のかけらどうしが、触れあった音は

自分とのお別れに際してのイメージに近いものに思えた。

死ねば自我をなくすのだから、もう自分ではなくて、ただの物質になる

来世という,次があるような概念があるが、それは願望にすぎなくて

死ねば無になり元来の,ふるさとの物質に戻ることなのだと思う

そのことにおいて 皿の死と人間も 同格だとおもう

自分とのお別れに その関係性を顧みるとすれば,その小心さ,それ故の狡さ,何よりカッコつけだろうか‥

しかしそれを超えて  共に喜びを語り合った 無二の盟友であったことを思う

厳しい山から帰って,職場の多忙や パソコンに向かいながら  密かに 

『おい,よかったなぁ』 と語り合えるのは 自分しかいない 

その自分との 最期のお別れに どういうか 

『おつかれさん』 だろうか 月並みだけれど ‥万感込めて

カテゴリー: all | 執筆者: Toshio Kazama