釈迦が岳へ行きながら府駒山へのルートを探そうと思った
私の勘違いなのか府駒山は登山道が既に山頂だった。
そうだろうか。私の府駒山は里から見上げる威風堂々の山であるが、そこに山頂はない。
こういう例はたまにあって,登山が盛んになるにつれ、里からの目線より登山の「便宜上」顕著なピークを山頂に宛てたのではないか。。 かねてから山は登山者のものではなく、その地方の里から敬うものと想う。
私の想う府駒山は、谷のむこうにあって、美しいラインが春の空に映えていた。写真の右のピークが奥にあって頂稜は高く草原か…
「あそこを歩きたい」という胸焦がす時である。しかしこの山には道がない。こういう山を歩くのは冬枯れの見通しの効く時期がいい。。しかしこの年齢の単独行動とクマの脅威。。
今が山を止める潮時だとも想う。
カテゴリー: all | 執筆者: Toshio Kazama