登山の傾向が単独で人知れずのルートや、道のない尾根などを好んだため熊との出会いは人より多かったと思う。それだけに見張や(最も重要)曲がり角、尾根を登りきる等の見通しの悪い箇所では、意図的に奇声や咳払いをし注意した。小熊を視たらつい可愛いと感じてしまうのは我ながらペット感覚。しかし必ず親が傍に居る。小熊を連れに来た母熊に、健気さを感じたのは文明病か。。出会ったとき親近感を示せば伝わる筈(笑)こんなおめでたい感性はさすがに認識を改めるしかない。 熊の生息域は低山や里山と思っているが、剣岳の早月尾根を下山のとき、15m程下の、先を行く同僚が鋭角の尾根を回り込むその先に、クマが来る。鉢合わせ!と反射的に「クマだ!」と叫ぶと驚いたのはクマの方で身をひるがえし逃げた。同僚は状況を知らずポカンとしていた。しかし2000m以上の高地にもクマは生息するのだろうか。昔から自分の山への志向が熊の生態と被ることは認識していた。道が無い山は必然的にケモノ道を歩くことになる。展望に用のない獣たちは絶妙なトラバースや見事なルートを歩くものだと感じた。
鹿などの罠には、ある筈の表示ないこともあって注意が必要である。風もないのに木が揺れていると想えば罠に掛かった鹿が私の接近に怯えもがいている。時には罠に捕らわれたまま熊などに食われ内臓のない死骸もある、足元の地面は抉れ、凄惨なシーンを彷彿とする。鹿の恐怖を和らげるにはその場を早々に立ち去るしかない。三本足の鹿に度々出会うが、罠から逃れる最後の手段に脚を犠牲にするのだろうか。医療も薬もない野生のなんと厳しい実態なことか。。 そんな山歩きは猟の人と出会うこともあって、イノシシが逃げてこなかったか、とか聞かれる。経験上イノシシが柵に阻まれたときの狼狽ぶりは何度も突撃をし、それが自分に向かってきた時の怖さを想う。そんな単独の私に猟師がアドバイスをする。。「出来るだけクマを自分より下位に出会うようにする。。クマが上位だと襲ってくる」。。それは猟で追い詰める場合だろうが、登山では無理な相談だ。 ストックを持たない私に、手ぶらは良くないという。武器になるものを手にすると熊も解るのだろうか。。 これまで突発的な出会いはなく、比較的穏やかなものだったが、さすがにこの状況では私の山登りへの志向は危険だろう。まして私の究極はそんな領域に神秘の夜を過ごすことだから、この秋冬は自重した、というよりその気になれなかった。。これからもそれは許されないだろうし、これで終わりでいいと想う。 こんな山登りを永年やってきて、よく無事だったと想うし、その強運に感謝したい。そして想うのは、深い山の限りない静寂と、自分の息ずかい。。永年の盟友としての自分との語らい。。それは得難い時間だった。。寒くて目が覚めて、縮こまって♪おなごを抱くように 膝をいじましく温める、ああこうして熊も鹿も狐も寝てるんだろうなと想う。。その共感は山という場が、その夜がくれた感性だったろう。。
そんな独りの山を趣味にしてきて、良かったと想う
カテゴリー: all | 執筆者: Toshio Kazama