2025-11-1410:41

夢のなかの北欧

髪の毛を洗っていたら突然ある風景のイメージが怒涛のこどく頭を占領した。
その唐突さと強さに『なにこれ?』と声を出した。

それは過去に夢で見た風景だった。高い木のない殆ど草原状の緩やかな起伏のある大地に、地下にある家々の入り口が地表に覗いている。核戦争に備え地下の都市構造になっているらしい。

背の高い男に案内され階段を降りて行くと学校の教室があって、今後はこんな街にすると説明をされた。ここは海に面した北欧のどこかの街らしく、湾の向こうに草原の大室山のような美しい山があった。

‥明るさはないが知的に沈んだ魅力的な土地の風景だった。
‥この風景はテレビのドキュメンタリーで見た記憶かと思ったが,こんな街があるわけがない。半年ぐらい前に見た夢の中の町が、それが何故いま再現されるのか不思議だ。

想うのは夢の中のイメージはディテールが体感的であり、懐かしさがあることだ。背の高い男の白髪混じりの髪とか、内面的ニュアンスが肌触りのように伝わってきて、しかも印象がずっと強く保持される。人生の過去の領分が増えてくるにつれ、あれはもしや夢の中のことか、、みたいなことが多くなった。
ことに幼少期の記憶は、たぶん半分は夢ではないだろうか。そして夢の記憶だけが強く残り,記憶が次第に『夢化』してゆく気がする。

夢だけが残ってゆく‥そう想うと夢は内面の結実なのかとも思える。自己の感性の結実が夢として現れる。
いい夢を見るために現実の生活がある

‥それは中々いい逆転ではないだろうか。夢は暗くても美しく,そしてどこか幸福感がある。

人生はうたかたの夢の如し‥と誰かが言った。人生そのものが夢だったような境地に達することができるなら、それが呆けであっても魅力的な気がする。

カテゴリー: sogo | 執筆者: Toshio Kazama