2010年09月04日 18時40分 | カテゴリー: ツーリング2010

9月4日 いやいやながら東京目指して南下。なぜか阿賀野川・麒麟山へ

さて、いよいよ東京を目指して南下開始。相変わらずすさまじい酷暑らしいがすでに20日旅行してるんだからしょうがないねえ。キャンプはロクにしたことな い、というおっさんに幕営技術をちょっとは教えて、それから林道でも走ってとりあえず今日は東京の近くまでいって、翌日、一気に午前中に帰宅、と参ろう か。

福島から東京で林道が多いコースといえば会津経由で奥会津のにおりていき、日光にでるのが一番だ。最後に山王峠をとおって中禅寺湖に出るのが理論的にはいちばん長く林道をとれる。しかし、土日の日光なんてあの混雑を思うとゼッタイゴールしたいところではないな。那須ぐらいから高速にのるとか、いっそ新潟から関越道を通った方が良い。さらに夕方の1000円高速ラッシュをさけるために東京に着くのは午後2時頃までにしたいね。 そんなことを考えて、林道はむしろ福島に近い方で楽しもうと、米沢から裏磐梯へぬける古街道を選ぶ。

いまでは立派な県道2号が米沢から天元台経由で檜原湖までとおっているが、古い時代の米沢街道はもう1里ほど西側の山沿いに5つの峠を越えて会津藩領にぬけていたそうだ。その道がダートだという。自分も初めてだが、とにかく天気は晴れ、に決まってるしナビもあるからなんとかなるべさ。 昨日同様、国道13号をはやめに板谷・峠方面に折れてほとんど林道程度になっている江戸時代の米沢街道の時代を感じさせるさびれぶりを味わいつつ、米沢市街にはいらずそのままほとんど車の通らない道を直接会津にむかう道まで走る。さらにそこから綱木の集落へ。みちなりにすすむと草におおわれた道の跡にでて「米沢藩番所跡」の標識がある。その東に細いがしっかりした道が峠へ向かってあがっている。ひょっとすると藤沢周平の描く海坂藩藩士たちはこっちの道から会津街道を経て江戸に向かったのかな。

まもなくダート。そこそこのダートでところどころスタンディングでいかないと登りにくい。荷物も満載だからタイヤのエアを少し抜いて上がる。 古米沢街道ダート 約8kmのダートですれ違った車は1台だけ。「この先行けますか?」というから相棒が「4wdだから大丈夫でしょう」と教える。車は大丈夫でもドライバーは時速4,5キロで走らないとだめそうだけどね。ま、こちらも同じ事だが。マップルによると「展望抜群」と書いてあったが、全然そんなところはなかった。あとでよくみるとそれは2号線のほうの話だった。

ま、しかし歴史が好きな自分には塩原村への道は楽しかったよ。なんせ他に車が全く居ない道で山形県米沢から檜原湖までこられたんだから。 塩原村へおりたあたりに会津藩と米沢藩がとりきめた県境とかを説明した看板がちゃんとたっていた。そのわきにはダート道とは別に歩いていけるような草ぼうぼうの道があった。あるいはそれが昔の古街道なのかもしれない。ダートの通ってきた道はどうも近年、といっても何十年か昔につくられたような気がする。いつか歩いてみたいものだが、実際には車かバイクでここまでこないとむずかしいよね。こんなところはバスもこないし。でも福島別荘から気合いを入れたら来られるかもしれない。

旧米沢街道の説明

もっともその道でなくてもこのへんの山はあるいて楽しい山の道はいっぱいある。表の吾妻小富士からずっと尾根をあるいてきのうみた姥湯温泉に下りる、とか。関東周辺や長野の八ヶ岳なんかとくらべるとウソみたいに登山客はいないんだよ。最近はしらないが、自分が若い頃はそうだった。 檜原湖から裏磐梯の「道の駅」へ。こんにゃくを喰って、昼飯はすこし遅いが喜多方の奥の山都のソバが有名なのでそこで喰おうとおもったのが、いささか失敗。おもったより距離があるのと、喜多方市内でナビが主要道路をいかせたがったために林道に近いような道をいきたいこちらの思惑とずれてしまって時間の大幅なロスがあった。

459国道から山都町へでる道にでたのが3時頃だったからそれからソバ街道の旗をみつけてやっと山都に着いたときは4時ごろ。 もうとっくにこのへんの昼しかやってない農家兼業のソバ屋は閉まっていて、一軒だけ店をあけていたところで「塩そば」と「水ソバ」の1500円のセットを喰うが、うーん、正直言って大したことはなかったな。がっかり。いつも食べ損ねるから自分にしては珍しく執着してみたのだが、結果は、わざわざ食いに来るほどのもんんじゃないね。これより美味しいソバは会津街道のいたるところにある。東京から親子できたらしい70歳ぐらいの品のいい紳士が「どうでした?」と感想を聞くと「能書きの多すぎるそば屋だ」と相棒が答えて笑っていた。ま、貧しい山奥の田舎でソバだけホンモノであとは塩かけたりそのまま啜っていたのがなんかの拍子に”名物”になっちまって、それをマネして我もわれもと「ソバの町」になったのかも。考えてみりゃ喜多方ラーメンだってにたようなもんだろう。

さて、夕方だよもう。予定していた沼沢湖でのキャンプは遠すぎて無理だなあ。7時過ぎに着いたらもうまっ暗だわ。一番近いのは新潟の阿賀野角神湖青少年旅行村、か。これなら山都から30分ぐらいでいける。なら明日は新潟から帰るか。というわけで新潟のキャンプ場をめざす。しかし夕方になってもぎらぎらの太陽で、そこを真西に向かう、というのはあまり賢明な選択じゃないね。まぶしいこと。この旅ではじめてゴーグルをつかったがそれでも正面が見えない。道はいいのだが気を遣うし暑いし、山都のソバに引かれてどうもマズったわい。旅の間ずっと美味いものを喰う、などという気は全くおこさなかったのだが、最後にきて意地汚い地金がでちまった。

キャンプ場は週末とあってバンガローにファミリーキャンプ族で満員。バイクにテントなんてのは我々以外に誰もいなかった。サイトもバイクは「フリー」といっても坂だらけのどこかそのへんで勝手にやんな、みたいな感じ。ここはもう本州だから当然主流はファミリーキャンプ場だということを予期しておくべきだったか。まあ、その分場内に立派な温泉施設なんかあって、良くできているところもあるが、これじゃあおっさんにキャンプ教育をする場所としてはふさわしくないなあ。ま、温泉にめんじていいことにしよ。 ここで米をたいて100円缶詰をのせて、10円味噌汁で晩飯。一応コンクリートのテーブルなんかあるんだけど、でも中途半端な高さだから蒸し暑いし、あまり料理に凝る雰囲気じゃない。ていうか食事の材料を買ってこなかったし。おっさんはファミキャンのバーベキューがちょっとうらやましそうだったが、なにビールも酒もあるからゼイタクいうんじゃないよ。ワンカップ3本ものんじまった。このワンカップは地酒の麒麟山、というやつでワンカップ大関よりだいぶうまかったよ。

 

角神湖青少年旅行村

どうも一「キャンプしたい」って、おっさんは実はソロキャンじゃなくて、大宴会キャンプにあこがれていたのかもしれない。ま、日本でキャンプっていえばフツーの人はそう思うのが当然か。俺は宴会キャンプが好きじゃないから、師匠を間違えたわけかも。 こういう中途半端キャンプだからキャンプ入門も中途半端。テントの下のビニールはテントの内側に折って、みえないように、とか言ってもその意味がわかりにくいよね。いざとなりゃバンガローがそばにあったりするし、なんなら旅館だってある、なんてところじゃ夜中に水浸しになるイメージは浮かばない。入門講座はかくておそまつにも半端に終了しおっさんの為にはあまりならなんだろうな。

 

夜は蒸し暑い。入浴したのに寝苦しくテントの内壁をあけてネットだけにして寝る。おっさんはもっとねられないで夜中に起き出して酒でものみなおしている気配。夜中に猫がその食器を舐めていた。だから食器は全部テントの荷室にいれないとダメっていったのに。キツネだったら病気がうつりかねないぜい。キャンプ教育は放棄して食後の食器だけ洗わせたんだが、翌日カップと箸が途中におっこってるのをめっけた。ま、俺もよくモノなくすからエラソなこたあいえないがね。計画性ゼロで、かつあまりだらしよくないこの二人組、山旅だったらまず遭難する組合わせの高齢登山者だな。バイクツーリングはその点、いい加減でも全然平気で、なかなかよろしいわい。

執筆者: Jun