2010年10月18日 12時59分 | カテゴリー: ツーリング2010

琵琶湖の岸辺にクマがでる・・・て

ゆうべは宴会準備中に管理人から「クマがでました。夜は一人で外出しないでください」って電話があり、直後に同様の内容で有線放送が湖の岸辺に立つこの貸別荘まで響き渡った。昨日、この500メートル先でたった一人でキャンプしていたんだけどね。さっき通ったら週末で10組ぐらいはテント張ってたよ。きっと放送聞こえているはずだから、見事な夕陽みながらもさぞ心地が悪かったにちがいない。

こちらはこの晩は友人がみつけてきた湖畔の貸別荘だからクマの一匹や二匹、外をうろついていたって平気なのである。バブルの頃富山から移築して億の金がかかった、という豪邸で、ひとかかえもある棟木や柱が縦横無尽に組み上げられて、檜の風呂に、自在鉤のぶらさがった庵、湖岸のライトアップ、30畳ぐらいありそうな大広間で7人のオオドモこどもがあつまって宴会を開く。

セットしてくれた友人は、これまた旅行大好きの2人組なんだが、旅といっても俺とはスタイルが俺とは異なる。西洋飯盒でたいたキロ440円の無洗米に100円のさば缶のせて、15円のインスタント味噌汁、なんてえのにくらべると北極と南極ぐらい違う。デラックス派とでもいうか、熱心な食文化研究家。

合流した夜も、しっかりとあの陸の孤島・悲運の淳仁天皇の御家来衆が1300年にわたって住み着いていたという菅浦集落に天然鰻を食わせる鰻屋がある、なんてことまでネットで調べ上げ、天然の季節が終わったといわれても、白焼きと蒲焼きを予約注文入れて100kmを遠しとせず取りに行くし、神戸牛とおぼしきまるでトーフのように柔らかな牛肉をどっさり、デザートのカキは奈良から取り寄せ、ナントカという旨みの強い変わった醤油を3種類持参して、途中の道の駅でキノコや野菜をしっかり仕入れ、高島町では今年とれたばかりの2kg1700円の新米をベンツに積んできたもんだ。娘などは「これはお肉とは別のモノ」と自分に言い聞かせながら食べていたね。同じだとおもったらこれから先困るもの。

食事もこれぐらい真剣に取り組むと、それ自体が一種の演劇的フィールドとでもいえそうな”場”となり、準備から、食事、その後とずーっとユカイな時間を楽しむことができるんだな。その昔、娘がまだ小学生のころ、この家にクリスマスに招かれ、一話丸ごとの七面鳥を見たときはうちの子供達は「これがあの伝説の・・・」と衝撃をうけてその後20年ちかくたったいまも語り継がれているぐらいだ。あはは。いやべつにだからといってうちのメシがいつもメザシとタクアンてえわけじゃあないんだが。

彼我の差は、半世紀以上の人生をそれぞれ経てきた生き方のあり様である、とまあ、とりあえずおもって全部おまかせ。マケズにうんちくなんぞ傾けると「日本酒にはあいつはうるさいからもってくのやめよう」などと変に気を遣わせて、こっちがソンするだけ。

「エエトシして、地べたで寝るなんてしんじられへんわ」というとるから「地べたちゃう、グラウンドシートにテントに、内側に銀マットしいて寝袋で、シュラフカバーもあるねんでえ」、というても人間は布団かベッドで寝るモノと信じているから全然、アカンのである。(そのくせ、ヤツは海の上で昼寝できる、というまれに見る特技をもっているのだ。たぶん安曇族DNAかなんかやね。)


この日は準備段階で元気に立ち歩きのワザを披露していた8か月の孫もちゃんとさいしょだけは寝てくれたから、娘も踊り踊ってよろこんでたね。もっとも、これはぬか喜びで30分後に、我々の話し声が大きすぎて起きてしまったのが唯一の失敗か。かくて、全面ガラス窓から琵琶湖の黒々とした湖水に半月の月が群雲にかかり、岸辺によせる波の音とともにクマの心配も全くなく贅沢なる夜は更けていったのだった。

ただ、カミサンにいわせると久しぶりに布団に寝たわが鼾は家中に響いていたそうだが、なに、あれは本人はまったく聞こえないので全然気にならないのだ。

 

執筆者: Jun