2018年11月16日 21時35分 | カテゴリー: 総合

青焼きの住所録(3)

 さて、F君が今も健在でここに住んでいることは分かった。が、その場合の後のことは何も考えてなかった。なんとなく前庭で水撒きでもしててくれたら、「リビングストン博士ですか?」方式で声をかけられたんだが、そもそも、田舎じゃあるまいし、東京の世田谷でそんな展開はまずありえないわ。

 はて、どうしたものか? いきなり40年以上前の知り合いが訪ねて来たらどう思うだろう? こっちが懐かしいと思っていても、相手はそう思ってるとは限らないではないか。迷惑かもしれん。金でも借りにきたかとか思われるかなw。もう「何ちゃん、あそぼ〜」という歳じゃないんだっけ。う〜ん。

 しかし、だからと言うて、ここまできてそのまま帰るというのもアホらしい…こんな様々な思いが脳みそを駆け巡ったが、体の方が先に反応。「まあ、ええやんけ」と指が勝手に門柱の呼び鈴を押していた。うまくしたら本人が出て来るやろ。

 ところが「はい?」というドアホンから返ってきたのは意外に若々しい、というても落ち着いた女性の声。…あ、はずれた…こりゃ奥様に違いないよ。そりゃそうだ。我が家だってドアホンが鳴ったら、まあ家内がでるわいな。0,5秒ほど困ったが、なんとか「Fさんはご在宅でしょうか?」という言葉を絞り出した。「でかけております」と言う。あら、やっぱり、とがっかりしたが、おお、元気で生きとる、よかった〜というホッとした思いも同時にきたね。

 これで本日のポタリングの目的は100%達成。マナスル登頂を果たし頂上に日章旗をたてたようなもんだ。しかし、はて、この先、奥様とどう話を続けたらええもんか?シミュレーションゼロだよ。 またもや約2秒絶句。それでも、もうええ歳をした大人であるからなんとか乗り切った。

 「そうですか。実は私、その50年ほど前に、Fさんと一緒に台湾に行ったもので、その昔の住所録がたまたま出て来たもので、ひょっとしてまだ当時の住所にお住まいではないかと、自転車で散歩がてら小金井からきたもので…」と一応の説明をした。奥様は「小金井から?それは…」と驚かれる。まあ、通常、自転車で来る距離ではないからねえ。

 で、当時、中国語を一緒に勉強していたことをお話しすると、「中国語は今もやってます。今日も新宿へ出かけておりますが、その用事で」という。おお、40余年を経て、彼もまだ中国語の勉強をやっとるんだ。今尚、同好の士であると知って「それは素晴らしい!」という言葉が勝手に飛び出した。「では、お帰りになったらよろしくお伝えください」と言うたんだが、はて、ここまで来ることばっかり考えてその先のことはなんも準備なし。名刺も持っておらんがね。

 で、シドロモドロでインターホン越しに自分のケータイの電話番号を伝えて、「もしFBとかおやりなら、たけうちじゅんで検索してくだされば’」というと「いえ、そいういうのはやらないとおもいます」ときっぱり。うん、大人でネットやってるのは3分の1だから、彼が多数派なのである。そっちは諦めて、もう一度、「よろしくお伝えください」と申し上げて、逃げるようにペダルを踏んでその場を離れた。それ以上お話をしていると、奥様も表に出てこられるかもしれないし、そうなったら、50年ぶりの友人の会ったこともない奥様に、もうわしゃ何を話してよいかわからなくなっちまう。奥様にしてみればなんだか変な人が来たと、さぞ驚かれたことと思う。

 我ながらちょっとアホみたいな訪問にあいなったが、まあ、こんなもんだ。F君が今だに覚えていてくれるかどうかもようわからんのだから。

 かつて、関西育ち、世界を一周してきたえたヒッチハイカーの図々しさもなくなっておるなぁ、まあ年寄りだからこんなもんだわさ。東京生活が、大阪暮らしより3倍以上長くなってしまって、だいぶ性格が変わってしまったのかも。

 帰路は、適当に下高井戸をすぎて北上して、玉川上水を三鷹のジブリの森あたりへぬけて戻る。玉川上水は30年前よく走っていたが、三鷹駅の南は知らなかったがいい道だった。若けりゃ走りたいが、まあ、じじいだから自転車でもよしとしよう。途中、結構な陸上競技場みたいな公園があったりしてとてもよい。また来よう。
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 案ずるよりなんとか。F君からはその日の夜にすぐ電話があり、互いに40余年ぶりに久闊を叙し、K君も交えて近々会うことになった。一枚のボロ名簿から、よくぞ辿り着いたぞ、自分。褒めてつかわす。w(終わり)





 

執筆者: Jun