2013年08月31日 00時08分 | カテゴリー: 総合

2013夏の墓参帰りツーリングの記

わすれないうちにツーリング日記

汽車で用事だけすませりゃ1日で日帰りできるのを、このトシでバイクで行ってこようとおもたら3泊4日になるなあ。うーむ。しかし、いちどバイクも身体も実地にオーバーホールせんとこのまま爺になって昇天しかねんから、天気も良さげだしここはいっちょがんばってみるか、とおもいたった。コースは東京ー福島ー新潟ー東京、にとってできれば福島からの戻りはのんびり下道で、米沢から会津へぬけて、阿賀野川沿い新潟にと。

3年ぶりにアクビしてたセローをツーリングバイクに戻すのは結構大変だ。まずライトの上に襤褸切れなんどをいれる汚いウエストポーチを針金でしばりつける。凧糸と結索バンドで無理矢理くっつけて。

旅立ちの老人セロー225 キャンプツーならもう自作アイリス箱だが、今回は荷物へらしてビジホ泊まりでやってみようとおもちょります。なによりネットがあるちゅうのが今の時代、ええわいな。キャンプすると夜暗くなると寝る、なんぞちゅう健康的な生活をおくっておらぬから夜中が長過ぎる。すっかり文明に毒されておるわい。

あとは雨装備に着替えに、ネット関係(これが昔では考えられんほど色々あるねえ…コードだとか予備の電池だとか)と財布、手帳、タバコと、おっとツーリングマップルか、あれ、それなら虫眼鏡がいるぞ。あれがなきゃみえんがね。…入れ歯はどうする?入れ歯の洗浄剤は?眼鏡も予備がいるか…と、どんどん爺むさい装備が…あは、やはり爺のツーリングは準備だけで大変だ。おもいたったらそのまま30分後に飛び出していたのは遠い昔のお話。いや、還暦もはるかにすぎてしもたら、まあ昔の様にはいかんわいw。

ということでまあ、最初の日はバイクで福島へ。翌日は見舞いに墓参に知人達を訪問して交歓し、3日目からツーリング。って、結局一日だけじゃん、みたいなもんだが年相応だし。 朝、9時前に東横インをでて、国道13号を栗子トンネルまで走って板谷の方に下りると、そこは旧米沢街道。ほとんど車もバイクも通らない道はうっすらジャリが浮いてアブナイ位だが、なんせ藤沢周平の「海坂藩シリーズ」のファンであるから、かって庄内平野からはるばる藩士たちが江戸に向かうにはこの道を通ったんだあ〜、なんておもうにはサビシイ廃道のほうがよろしい。なに廃道でもない。ちゃんと車もバイクも通れるし、一日、20台位は通ってる。

気持ちのよい高原にはすすきがもう穂をそろえ、吾妻の山々をみあげながら米沢へ。ナビつきバイクのありがたさでナビのいうままに米沢を抜けて、南陽市の斜面のビニールハウスをみながら坂をのぼって、田んぼのなかに突然一棟だけタワー型のマンションがたつ上ノ山だかをぬけて…と1、2時間走ったのだが、これじゃいつまでたっても庄内平野につかないと、高速道路にのることにした。 さすがに中途半端な高速はがら空きで、寒河江のSAまで、青空の下を快適ツーリング。29度かそこらだから、黒いメッシュの上着の下はTシャツ一枚でも全然オッケー。さすがに終点の月山ちかくになると涼しすぎる気もしたが、ここまでくればもうくだりだけ。丁度昼すぎに鶴岡市郊外へ到着。

ほんとに気持ちのいいカラリと晴れた日が東京を出発してからずっとつづいているのがありがたや。バイクはこうでなくちゃあいけません。 今日の目的地は新潟だからそうゆっくりもしてられない。お目当ては月山道路じゃあなくて、日本海に沈む夕日、なんだから。鶴岡はあっさり素通りして海辺のクラゲ水族館をチラとみて、そのまま海沿いに南下開始。

なるほど、日本海を右側にみて気持ちのよい道である。空いてる事といったら札幌郊外から北上するのとさして変わらぬほど。気分はちょっと北海道。もう3年もごぶさたしてるなあ。小樽にすんでいた友人がノマドになっちまってタイへいっちゃったせいもあるが、自分がテント泊まりのキャンプを2週間以上つづける根性がなくなっちまったせいかもしれない。今日もさっさと新潟の東横インを予約してしまってあるのだ。

だが、この海岸沿いはいたるところにテント泊できそうな場所があるなあ。ま、それもこういう天気だからそうおもうのであって、雨とかになるとやっぱりしんどいやろなあ。北海道のキャンプ場だと雨でもライダー同士でなんか親近感があるから、一緒に雨の中を露天風呂の温泉に入りにいったりしたもんだが、本州のキャンプ場でもないところでひとりテントはって雨に遭ったらあまり嬉しくは無いだろうな。本をかいてるプロライダーキャンパーのおっさんのナントカさんはえらいわ。 クラゲ水族館から、庄内夕日街道といわれる50号を下る。夕日をみたいとおもうけどまだ2時頃だから、当分みられないな。まあ、海をみてるだけで気持ちがよろしい。 由良、五十川、鼠ケ崎、と国道7号といつのまにか名前がかわってるけど同じ海岸沿いの道を快適に下る。なに箱つきセローだからいわゆるバイク乗りがビューンって感じじゃなくて、はたからみてたら郵便屋さんかバイク便屋のおっさん程度のトコトコというスピードだ。それでも元自転車サイクリストからみたらスーパー自転車だよ、225cc、20万円なりのわがセローは。

やがて「笹川流れ」という聞いた事はあってもなんのことかしらんかった地名がちらほら看板にみえはじめて、どこかで説明をよんでここいら一帯の海岸線をそう呼ぶのだと知った。たしかにいろいろな奇岩や凸凹がある地形で江戸時代風の景色の名所であるな。芭蕉も象潟からはこのみちをくだったのかしら? 4時ごろようやく、サケで有名な村上についたが、別にここでサケ料理を食うとかの予定はないのでそのまままた海岸沿いの道を下っていく。一度、ナビ任せにしてたら7号線を走ってしまい海岸から内陸に5kmもはいってしまったが、途中で気がついて海岸に戻る。あまりナビをしんようしすぎちゃいけません。特にこの知人にもらったナビはバイク用で日中でもはっきりみえるのはありがたいのだが、細かい設定はしにくいから、「新潟」なんて目的地にしていたのがいけなかったわい。 再び海岸線をパタパタと走る。やがて日も落ちるころ、阿賀野川の大橋をわたって新潟市内へ。夕日が海に沈む瞬間は松林でみえなかったが、まあいいや。十分、海岸線の道を堪能したわい。

海辺の公園というか見晴らしの良い高台でいっぷく翌日は新潟をでて、最初下道をとおもったが新潟から越後湯沢まではあまりに遠いので途中から拘束にのって、谷川岳のトンネルはコワいから、湯沢で下りて苗場までは三国峠を越えた。

セローは高速でこそ場違いなトコトコバイクだがこういう山道の上りはトルクがあってとても強いのである。関越の谷川岳トンネルなんていう恐ろしいところを通るよりよほど三国峠がいい。 くだって塩原太助記念館とかいうところで、うどんをくって月夜野からまた関越に。暑いのには閉口したが、それでも29日に帰ってきて大正解。30日はなんと北関東の気温が37度越え。29日だってもう群馬側にはいったとたんに暑くてあつくてのびそうになったんだから、あと一日おそかったら悶死してたにちがいない。 最後の日はさすがに右肩に釘をさされたような痛みがつらかったが、夜、しっかりもみほぐしてフロにはいったら翌日はなんともなかった。まだいけるかな。当分、爺ツーリング。このところヨガだので腹筋背筋は運動していたせいか、4日間バイクではしりまわったが昔なやまされた腰痛はまったくでなかった。爺でもトレーニングはこんなに効果があるとわかったのは大収穫。 さあ、年内にあと4kg減量を目標にあすからまた頑張ろう。

執筆者: Jun