JOURNAL SKIN
by : DIGIHOUND L.L.C.
〒658-0001
Higashinada, Kobe, Hyogo JAPAN
( 二子山救助行 )
まだ4駆ブームの頃、友人のCJ5と義兄から預かったBJ41で富士山の写真を撮りに行った。
車の中で昼食を食べているとJ57がやってきて、二子山の鞍部で4WDが横転しているので手を貸して欲しいという。四駆に乗っている使命感もあり、行ってみると真新しいダットラが裏返しになっていた。ドライバーとその彼女は幸い軽傷の様だ。ストラップで引いて起こして見るとキャビンはすっかり潰れ、タイヤはバーストし、とても自走は不可能である。地元らしいJ57氏とその仲間のBJ41Vで負傷した二人を急遽病院まで送り届けることになった。
哀れな姿になり、主を失ったダットラは山に取り残された。雪が降り始め、まだ体温の残っていそうなシートや黒いボンネットの上に積もり始めた。たちまち白くなって行くその姿は急速に生気を失い、この車が今、死骸と化していくことを物語っていたが、どうしてやることもできない。 私達は視界が有るうちに帰ろうと走り出した。振り返ると降りしきる雪のなかに残されたダットラが哀れだった。
トレイルは雪で見えなくなったが右に下れば帰れる筈である。しかし雪は益々激しく、視界はほとんどないホワイトアウトの状態になった。下手に動きまわると、とんでもない地形の蟻地獄が待っている。こういう時は動かないのが鉄則である。
そうしている間にも、地面はまったくの白一色に覆われようとしている。そうなれば危険なアイスバーンは新雪に隠され、それを避けて下ることが出来なくなってしまう。私は迷った。この状況は冬山の迷いを思わせる、友人は私が、的確な判断をすると思うだろう。
視界は一向に回復しない、待っていても雪は深くなるだけである。そうであれば行動は早いほうがいい。私はそう判断し、動き始めた。右へターンするのはこの辺りか?と止まろうとすると数メートル程スリップした、そこはアイスバーンの上だった。雪に隠されたアイスバーンはこの下にも無数にある、すでに決断は遅すぎたのだ。40とCJは雪に閉じこめられてしまった、救助要請とはいえ、追い込まれた私達の不用意を悔いても遅い。
思案していると一瞬、数十メートル先まで視界が開け、十字架の様なものが見えた。あれは何だろうか?、唯一の目標物が消えない内に急いでそこまで移動した。それは道標らしい杭だった。これを辿っていけば二合目の駐車場まで下れる筈である。しかしこの杭が十字架に見えたのは不思議だった。杭を見失わないように注意深く下った。駐車場まで僅かという所でそこは数メートルの崖になっていた。しかし降りればそこは安全な駐車場である、2台とも蛮勇を奮い立てて下り、そしらぬ顔でスキーの車の中に混ざり込んだ。もう何も心配はない、後はただ帰るだけだ。二人は自動販売機のコーヒーで一息入れた。終わってしまった危険な事ほど楽しい話題はない。つい先程までの緊張した状況を得々と話し合い、冒険から帰ったような気分だった。
( 新雪日陰北斜面 )
駐車場から少し下った所で道は左にカーブし、その先は下り坂になっている。両脇に車が並んでいてチェーンを巻いているらしい。何をモタモタしているのだと車の列の前に出て坂の下り口に着いた。見ると坂の下も渋滞している、路面は5cm程の積雪である、なんと臆病なことかとイライラしながらスタートした。するとどうだろう、全くのノーコントロールなのだ。走り出してみて総ての訳が判ったがもう遅い、新雪の仮面の下はテカテカのアイスバーンだったのだ。一瞬うかつな自分を責めたが、そんな暇はない、滑走は次第にスピードがついてくる、坂の下の車は渋滞ではなくクラッシュした車たちだったのだ。このままだと私もあの車の中に突っ込み大破してしまう。なんとしてもそれは避けたい、頭は忙しく回転する、シフトダウンもブレーキングも全く関係ない。何とか壁にぶつけるか側溝に落とすかして止めたい。スピンを誘発しようとハンドルを思いっきり左に切り、破れかぶれでアクセルを踏んだ。車はゆっくりと180度回転し後ろ向きになってガクンと大きく傾き、側溝に落ちて止まった。
私はしばらくはシートに座ったまま安堵感に浸っていた。CJの友人は大したもので電柱とCJをストラップで固定していた。とにかく止まっていても滑り出してしまうほどの滑り具合なのだ。側溝にいれば滑り出す心配はないが、そこは安住の地ではない、いずれは出なければならないし、上から滑り落ちてくる車にいつ激突されるか解らない。実際その後も隠れたアイスバーンに騙された人達が、車に乗ったままの滑り台遊びは続いた。
チェーンを巻き、これで安心と思った2WDの1BOXが健闘空しく下まで滑り落ちてドスン、自信たっぷりのプラドが優雅な滑りでガッシャーンと前部大破、そこへ新車のパジェロが特攻隊のごとく目をカッと見開いたまま一直線に突っ込む、プラドは後部も小破、乗っていた子供が頭にきてバカヤローと叫ぶ声が聞こえた。
見ていられない惨劇が側溝にいる私の目前で続き、滑ってくるたびに私の41に激突しない様に祈る。日陰の下り坂は阿鼻叫喚の修羅場と化した。
そこへ現れたサファリ、義侠心で側溝にいる私の41をウィンチで上げようと申し出てくれた。有り難いのだがサファリも危なっかしい所に止まっている。5メートル程後ろに電柱が有り、アンカーとしてはいいのだが、そこまでのバックが問題である。いつ滑り出すか分かったものではない。サファリ氏は心配する私を尻目に躊躇なくバックギヤに入れる、しかし一向にバックしないばかりか少しずつ下り始めるではないか。義侠心もなにも関係ない、母なる引力も非情で愚鈍な物理法則である。タイヤが逆転したまま次第にスピードがついてくる、こうなったらおしまいである、親切な人のサファリは私の前を滑り落ち、下の車へ激突してしまった。彼が車から降り、前の車に謝るのが見えた。ああ、なんという結末だろうか、私はどうすればいいのだろう。
この惨劇の中で、当事者たちは個人の力ではこの場は打開できないことを悟り、リーダーがいた訳ではないが、皆で力を合わせようという雰囲気になった。とにかくこのアイスバーンをやっつけるには砂をまくのが一番だ、幸いなことにここは富士山だ、薄い雪の下には火山灰がいくらでもある。全員総出で作業が始まった。スコップなどは幾らも無かったが板きれや段ボール、食器やら何やら、子供も小さな両手で砂を運んだ。一時間もすると、さしものアイスバーンも歩ける程になった。やがて開通式である、皆が汚れた手のままで見守る中、一台目が無事に下ると拍手が起こり子供はバンザーイと叫んだ。
各々の車のダメージは案外大きい、殊にサファリはボデイーが歪み、バンパーがタイヤに食い込んで回らない、やはりノーブレーキという要素は大きいようだ。車の応急処置も皆で取り組んだ。自然と全員が無事に帰れるか確認してから解散という雰囲気になった。私の側溝の41も正直なところどうして出そうかと思ったが何のことはない、二十人程が寄ってたかって私が手を掛ける場所もないまま一瞬で上がってしまった。街中ならうっとうしい事故処理のやりとりも、ここではお互い様という言葉で終りである。みんな真新しい車を派手にへこませながらも「お疲れさーん」と手を振って帰っていく。親切なサファリの人とも、名前も聞かずに別れたのはあの場の雰囲気だった。
惨劇の結末は実に爽やかなものだった。世の中もまだ捨てたものではない。
それに加えて内緒の話しだが、義兄の美しい青の41は全くの無傷で済んだのだ。
作業の間いつのまにか晴れていたらしく、振り返ると夕映えの富士山が見えていた。 (F)
執筆者: kazama
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