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2017年12月04日 20時06分 | カテゴリー: 四輪駆動車

いにしえのGMとダッジを訪ねて。。

愛知県の知人とのお付き合いで山のGMCとダッジを訪ねてみた。

廃村になった一ノ瀬高橋の集落を通り、林道終点にランクル70を停めた。

白沢峠への沢筋をひとつ間違えたらしく、踏みあとが鹿道しかない沢を強引に登ることになり一汗かいたが、一時間弱で斎木林道に出て北へ200mほどで峠にでた。

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峠に居るダッジはドアが開いていたが経年変化はあまり感じられない、最初に見た時から少なくとも40年は経ているからこの鋼鈑の腐食しない状態には驚かされる。

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最初のその時はバイクで来て、まだ床があって広い荷台で弁当を食べた。

何度目かのときここで酷い雷雨に逢い、このキャビンで30分程雨宿りをした。まだブルーグレイの塗装があって銘板にUS.NAVYの刻印が読めた。

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しかし軍用車になぜ、これほどの趣深い造形を施したのだろうか、家のどっかにでも使いたいようなドアである。

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この弾痕は昔からあって、当時はハンターの不足問題などなかったから、私はその趣味を苦々しく思っていた(笑)豪勢なランクルFJ55.56などへ乗っていることが多く、坊主憎けりゃ袈裟まで。。という感じで嫌いだった。

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ミッションの蓋が開きデフが外されているから、ここでもトラブルを想う。セルモーターやキャブレターはパーツとして使用されたらしい。

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ダッジのある白沢峠から斎木林道を北上、緩い登り一時間弱でGMCの居場所につく。さらに北上すれば雁峠、そこはすでに埼玉県境になる。

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私はダッジより6x6のGMCに思い入れがある。ダッジは林業の荷役には搭載量が不足し、払い下げ車両を見ることは殆どなかったからだ。

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子供のころよく描いたGMC。大量に軍から放出された軍用トラックが当時隆盛だった林業に使われた。まだ新しかったいすゞに比べはるかに精悍さと、いぶし銀の貫禄があった。これが材木を満載したその力感は小学生の私の胸を憧れでいっぱいにした。当時の大人たちは、いすゞも含め6x6のトラックのことをGMと呼んでいた。ランクルもシープと言われ、ヤマハメイト(笑)もカブと言われたのと同じ現象だろう。

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最初にこれを発見した頃は笹の勢いが強く、サイドカウルなどよく見えなかった。国産の全天候キャビンが上手く架装されているから当初ぱっと見いすゞかと思ったが四本スポークのステアリングからGMとわかった。

ここの仕事に従事し、一昨年85歳で死去された方の証言によると、オープンのCCKWに横浜の架装業者によってクローズドキャビンが装着されたという。

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しかしなぜ山の奥地を向いて放置されるに至ったのだろうか。山を向いているということは往路であり空荷だった筈である。レスキューするなら僚機によるウインチ作業で不可能ではなかったろう。それともここで致命的なトラブルに見舞われたのだろうか。。。

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50年近い時の彼方の、ここでのある日の出来事。。それを確かめる術はすでにない。

真実はひとつである。知らない方がいいのかもしれない。もしそれがたわいのないことだったりするよりは、永遠の謎でいい。おそらく現存する人全てが死に絶えたえた後も、このままでずっとここに居て、後世への林業遺産になればいいのだと思う。

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執筆者: kazama

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