2018年11月13日 18時32分 | カテゴリー: 総合
青焼きの住所録(2)
小金井駅わきの小金井街道を南下して、東八道路を左折しても、そのまままっすぐ甲州街道にぶちあたるまで進んで左折してもいいんだが、それでは大通りばかりでつまらないし、騒音でちっともiPhone経由の中国語ストリーミングが聞こえない。
で、野川公園の東の端っこから野川沿いにあるサイクリング・歩行者専用道を行くことにした。途中、保存されている水車小屋とかあって、なかなかええコース。深大寺の南をかすめて京王線の柴崎国領間を抜け、小田急線の成城学園終点まで行くと二子玉川までずっと続いている結構な散歩道。昔と違って今はこういうのが結構あちこちにあるのが、東京成熟の証拠だな。
今回目指すは永福町から明大前付近なので、そんなに南下せず、最初の中央自動車道とクロスするあたりで左折して東に向かう。となると、同じ方向だから30分もしないで、結局は甲州街道に出てしもた。まあ、ええか。永福町、下高井戸まではこれで行こう。
永福町には中学生の後半、わずか1年半の短い間だったが住んで居たことがある。大阪から転校してきたから、今思えば結構、転校生として「いじめ」に遭っておった。
相手は当時、やっとみつけたボロ借家の近くの英語塾の経営者の息子で、お小遣いをたくさんもらって、それを使って数人の子分をつくっていた少年であった。どうも転校生の自分の成績が彼よりよかったのがきにいらなかったようだ。あるいは彼の飼っていた犬が、うちにまぎれこんできて餌をやったら、私に懐いてしまったのが気に入らなかったのか、、言葉遣いが「関西弁」なのをしきりにバカにして、相手にしないでいると、その子分がこれみよがしにチェーンをふりまわしてみせたりした。しかし、河内は八尾の近くの幼稚園育ち。文化背景には自信満々なので、なにをバカされているのかようわからず、「東京のやつはアホなんか?」と逆にバカにしたから、ますます連中はエスレートした記憶。しかし、もともと彼らがクラスのお客様みたいなもんだから、あまりたいしたことにならなかった。
クラスのヒエラルキー的には、東京は大阪より「クラスの中の成績」で決まっていたようなところが強くあった。例えば、試験の答案を返されても、クラスメート連は、絶対他人には見せようとしなかった。そのくせ、こちらの答案は何点とったかとかしきりに気にするのである。自分の成績は特別に良くもなかったが、机の上にそのままほっといたから。次々に見にきよる。しょもない連中やなあとおもった。ある時、教師が「東京に来てどう思うか?」と言うので、率直にこの話をしたら、ますますクラスの中で嫌われて仲間外れになってしもた。まあ、そんなこんなで、仲良くなったのは、当時、西部劇映画と銃器が大好きだったオタク少年だけだったな。
今考えれば、大阪人だ、言葉が変だ、とかでバカにした風を装ってい居たやつらは、親が地方から上京してきて、必死になって東京人のふりをしておった連中が多かったような。また、高度成長期になって、それまでの”古き良き昭和”で分け隔てがなかったところへ、「成績による分別」というシステムが導入されかけていた頃でもあった。東京は多分、大阪よりそれが進んでいたのだろう。そこへ転校して来た生意気な変な言葉を喋る奴が、自分たちより成績がいい、そしてこれみよがしに試験答案を隠そうともしないのは許せない、ということへの反発だったのかもしれない。私より成績のいいのは3、4人いたのだが、彼らの1日の勉強時間を聞いて、自分の倍もあったのでびっくりした記憶もある。ただ、この中学時代の経験が「東京人」に対する反感と偏見になってしまって、以後、本当の東京育ちの人々の良さを知るのが随分おくれてしもた。
ずっとのちになって、本当の東京人はなかなか控えめな洗練されたところがあって、関西のストレートな明るさとはまた違ったユーモアのセンスを持つ人々だと知ったが、当時の自分にはわからなんだ。今ごろF君に会いたくなったと言うのも、彼もまたそういう人柄だったからだなあ、そう、一昨年なくなっちまった陽気でシャイで暖かな東京人だったK氏にどこか似てる。
てなことを、ジジになった今、なつかしくおもいだしておるうちに明治大学の建物が見えてきた。このあたりも中学時代は高速道路なんかなかったから、スッキリして居たんだが、今は高速の下になってしもて薄暗いねえ。
明大前でiPhoneを語学ブルートゥスモードから、地図&ナビモードに切り替える。いくつかの小道と路地をアミダくじのように右に曲がり左に降りていくと、あっさり10分ほどで該当番地に到着してしまった。世田谷ちうのは小道が入り組んで、番地が複雑で世論調査員泣かせだ、と一昔前に言われて居たの嘘みたい。
その番地にある家はごく普通の東京の街中住宅。表札は姓は同じだが違う人の名前が書いてある。そういえばF君は次男だったなあ、とふと隣の表札に目をやるとまさにF君の名前があるではないか。ドンピシャに予想が当たった。まだ健在なのだ。はるばる来てよかった。(つづく)