2015年01月27日 21時06分 | カテゴリー: 総合

調布飛行場は飛燕の基地だったのか

昨日の夜から今朝にかけては大雨が降ったらしい。雪国なら朝起きてアッと驚くぐらいだろうが雨だから路面がキラキラしてるだけ。天気は晴れ。今日は午前中はヨガだからちゃんと起きて、さっさと2食入り97円税込の喜多方らーめんを作って昼飯にして(うまいのであるw)、1時半にイングレス散歩出発。午後は曇りっていうから晴れ間のある間に出発しないとメゲるからね。

 今日は何処へいこうか、とイングレスを起動してミッションを見る。うん、歴史っぽいのとお参りっぽいのがええ、となると…第二次大戦中に航空基地になっていた調布飛行場界隈を訪ねるポータル数も少ないのがあるから、そこにいくことにした。敗戦濃厚で特攻の訓練なんかしてたころにB29にやられないように作った掩蔽壕がまだ2、3箇所残ってるらしい。そういえば前に通りかかったことがあったっけ。今度はちゃんと見てみよう。

 調布は小金井からは4kmほど南だが、下りの坂道なので楽勝である。おまけに途中、公園がやまほどあって目的地近くまで公園と野川沿いの快適なお散歩道でいける。甲州街道沿いの南側に30分ほどでなんなく到着。はじめてしげしげと掩蔽壕なるものを拝見。うーん、こんなもんつくって戦闘機をかくさなあかんようでは負けは決まった、と今ならおもうがねえ。
20150127-掩蔽壕1.jpg

 当時は本気でまだやる気だったんだろうか(・・?)。特攻…ねえ。いまでいえば軽自動車ぐらいの重さのヒコーキに爆弾つんで、鉄の浮かぶビルディングにぶつけようってんだから正気の沙汰じゃあない、とこれまた今になってみたらおもうが。

 なに、あとになってからの知恵なんかなんとでもいえるから。今から50年もたったら、福島原発事故の後、懲りもしないでまだつづけてやって、マルマル原発事故まで起こした当時の日本人、なんてなあ、正気の沙汰とはおもえない、とか言われるかもしれないわさ。多分、言われるだろう。わしらジジのユーレイはあの世から「すまねえなあ、子孫の皆の衆」とか謝るしかなさそうだ。

 さて、子供まで動員してつくった掩蔽壕というのは、まあ粗悪なコンクリートのガレージのようなものであった。飛行場のそばにあるほうはすこし保存が凝っていて、入り口に飛燕戦闘機の絵が描いてある。

20150127-飛燕.jpg
 飛燕というのは水冷式エンジンだったからかっこいいんだけどね。でも銅像にする、ってのはどうかなあ。銅像てえのは錆びて貫禄がでて人間なんかは本人より重々しくなるが、金属製の戦闘機なんかだと錆びてスクラップみたいにみえてあまりよかないねえ。
20150127-掩蔽壕2.jpg
 とまれ、公園だらけのこのへん、それも元米軍が占領していたなんとかハイツ跡だから、その遺産で道路がやたら広くて快適で自転車で走るにはもってこいで、一時間もかからんでミッション終了。

20150127-掩蔽壕3.jpg
 まだ2時半前なんでもうひとつなんかないかなあ〜、とさがしたら調布のかつての映画会社のあとめぐり、みたいのがあった。「日本のハリウッド」はいくらなんでも大風呂敷だが、昔、このあたりには大映や日活の撮影所があったのだそうだ。いまでも角川映画や映画関連の企業が多いという。それはこの飛行場のだいぶ南だが、まあいってみよ。

 2、3キロ南に下る感じになるが、競輪の京王閣のさきにやっとみつけた「映画の碑」。というてもただ映画俳優の名前が石に彫ってあるだけ、というそっけないものではあるが、しかし確かに彫ってある名前は豪華だなあ。あまり芸能方面は強くないジジでもだいたい知っておる名前がずらりとならんでいる。
20150127-映画人の碑.jpg

背中に石工の名前が大きめに彫ってあるんだが、さてねえ、この文字がそんなにうまいもんだともおもえんのだが…ながめているだけで確かに時代を感じさせるから、これは石碑としては成功の部類だろう。百年後はどうか知らんがね。

 帰りはゆるやかな登りのコースを野川にそって上がってくると自然に我が家方面に到着。ミッションもさることながらこの帰路のコースが大変良かった。今度は野川めぐりのミッションでものんびりあるいてやってみよ。

 

執筆者: Jun