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2018年07月04日 08時32分 | カテゴリー: 総合

祖母の郷 小田野へ

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窪平で夕食のあと 子供のころ西部といわれた祖母の郷 小田野へむかった

激減しつつある葵の花を求めながらの道すがら 

この花のたたずまいは 今の世に時代をものがたり

この花の周囲にむかしを漂わせる

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夕暮れせまるなか 小田城址のある小田野山が藍色の姿を見せる

小田野城は甲斐源氏の安田義定が築いたとされ、800回忌!!が行われた

その後武田氏が隆盛し跡部氏との抗争の末、跡部氏は小田野山の麓で自害した

山梨も武田一色ではなく、小田野には士族の末裔の屋敷の配置などに風格がある

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この火の見櫓の手前には道祖神があり、その前を通って祖母の家へいった

お祭りの時など ここに出店がならび、神輿が気勢を上げた残像が脳裏にある

ここを祖母がまだ子供の父の手を引いて生家へむかったのだろう

生家にとって父は孫にあたり どれだけの寵愛を受けたろうか

その時間のスパン、繰り返す世代交代を想うと痺れるような気持ちになる

それは大正時代のことである。ここの夕暮れに、確かにあったその日を想った

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小田野をあとに坂を下る この郷には祖母と父の想いが漂っている

父が最晩年になってもう一度、小田野に行きたいと,生家を訪れたことがあった。

生家は孫の世代になっていて、お嫁さんしかいなかった。

どちらさまでしょう、というお嫁さんに、父は自己紹介し、親戚の筋を説明した

早々に失礼した帰り、川の対岸の馬場という見通しのいい高台に車を止めた

父は石に腰かけ、そこからもう来ることはない母の実家を眺めた

その後ろ姿には 第二のふるさと小田野への、今生の別れを感じた

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子供のころからずっと、ここに咲く葵

( F )

執筆者: kazama

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