父が保管していた小学校時代の通信簿を実家の兄が送ってきた。

改めていかに問題児だったかを目の当たりにし、打ちひしがれた

振り返ってみて人生最悪の時期だったのは仕事の苦労にもまして幼稚園から小学校低学年の頃だった。

幼稚園には毎朝のように登園拒否をし、親を困らせた。業を煮やした父が、暗い土蔵に入れると脅しても、幼稚園に行くぐらいなら土蔵に入るという私には効き目がなかった。

保母さんが家まで迎えに来ることも度々。父が癇癪をおこし、私を土埃をあげて引きずっていく光景が何度もあったと姉がいう。

保母さんはそんな私をなんとか集団に溶け込まそうとし、休日に街までつれて行き車の絵本を買ってくれたりもした。

私は病弱でもあって度々熱をだした。幼稚園で熱を出し園長さんの家の畳に水枕で寝かされたことがあった。

枕元で園長のおばさんと保母さんが介抱がてら庭を眺めながら雑談していた。私を慰めたり元気ずけようとほめたりするのが面映ゆかった。

私はもじもじするかのようにゴムの水枕の金具の辺りをまさぐったのだろう。その指がロックを外し、水枕の水がいっきに畳に拡散していった。

先生たちのスカートにまで達した水で事態にきずき、「あれまあ、困ったよう」と慌てさせた。

私が金具をいじった結果だと言えなくてだまっていた。介抱され、慰められたあげくの水攻め。。。なんというドジなことか。。

この事件は私の劣等感をさらにつのり、集団不適合の度合いを強めた。

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