JOURNAL SKIN
by : DIGIHOUND L.L.C.
〒658-0001
Higashinada, Kobe, Hyogo JAPAN
寒々とした広河原から、下山する数人の登山者を乗せ、甲府行き最終バスにのった。
もうほとんど暗くなった芦安駐車場につくと初老の登山者が訊いてきた
「駐車場はここでしょうか」 閑散として暗いので不安になったのだろう
「ここしかないですから大丈夫ですよ」 そう答えると「ありがとう」と降りていった。その先にステーションワゴンがあり、そちらへ歩いて行った。
単身赴任先の静岡から、遠路北陸の能郷白山に向かった。
この頃は森林限界が低くメルヘン的な北陸の山に惹かれていた
南アルプスの蝙蝠尾根から仙塩尾根を経て北沢峠まで、テント5泊の山旅を計画した。
2日目の蝙蝠岳直下。頂上に泊まろうと思ったら激烈な雷雨に襲われ、間一髪でハイマツの中に逃げ込んだ。
翌朝、テントを撤収すると、くっきり一夜の生活スペースが浮き彫りになっていた。この狭いスペースで雨をしのぎ、漆黒の深山の夜にくつろげる。人ひとりの生活空間は本来これだけあれば十分なのだ。(笑)
おまけに座ったままですべての衣食住を処理できる。この暮らしに慣れてしまうと、下山してすべてのことが立ち上がらないとできない日常生活がなんと億劫なことかと思えてしまう。
このザックのなかに5日間の衣食住のすべてがあり、これが家であるといえる。これを背負い単独で寝泊りしていると野生に近くなったと自負するがとんでもない。たかが夏の5日間を過ごすだけで25kgほどの大荷物になってしまう。たいして野生は手ぶらではだし、全裸?である。さらに驚異なのはそれで厳冬期もしのぎ何十年も暮らす。同じ哺乳類でありながらこの生活力の違いはなんだろうか。
しかし一夜の褥とし体を横たえた土地を立ち去るとき、普段なら感ずることのない。その地への恩義が、なごり惜しい。
「罪と罰」に罪を犯した青年が良心の呵責から大地にキスするシーンがあった。北海道の方々もよく「大地」への思いを口にする。ロシアや厳しい北国の人の心に、むしろ大地への思いが強いのはどうしたことだろう。
白根南嶺を笊ヶ岳まで歩く途上、転付峠の石碑に、こう彫ってありました。
転付峠は山梨の早川から静岡の大井川の源流域へ越える旧い峠道、行程は7-8時間程。二軒小屋に入るなら椹島経由より案外な近道でもあります。
甲斐駒から鋸岳へ 友人Sのクライムダウン
私なら遥かにブザマなフォームに違いない
ボーコンの頭からの四尾根とマッチ箱のコル
未練はないが、ここを登ったリッジとして見上げたかった(笑)
( 単独の限界。。 )
登山バスのバイトを共にすることになった同じ年の人は眼光鋭い精悍な人だった。
むかし山を登ったというから当然北岳も?と聞いたらバットレスを登ったという。ただザイルに繋がって登らせてもらっただけだと、そのことへの気負いは全くない。
漠然とマッターホルンを目標とし、高山病に弱い私は訓練を兼ね、
いつも富士山は山じまいの後9月になってから登った。
10年前の9月12日の午後から山頂を目指し、異様に美しい夕焼けのなか山頂についた。
風が強かったので測候所脇にテントをはった。
9/20となれば夜明けは遅い 始発の空にもうオリオン座
三連休の明けた今日は13人の登山者様が山に向かった
祭りの夜の かってはこの燈明が蜂城に灯った
( ふるさと。。小学児童の、この文字が心に沁みる )
秩父山地から南下した尾根が石和で終わる末端に山崎の山がある
過去の処刑場が石切場となり、その荒廃した様が子供心に怖かった
南無妙法蓮華経と彫った巨大な石碑が立っていた記憶がある
山崎の古跡の探訪と、意味ありげな八人山へ登りたくなった