JOURNAL SKIN
by : DIGIHOUND L.L.C.
〒658-0001
Higashinada, Kobe, Hyogo JAPAN
昨年の3/16日に死去し一周忌もお彼岸もすぎ、義母の衣類を捨てる時が来た。
永年我が家にあって、死去したあと、その気配として残っていた
かなりのボリュームになったが、見覚えのある色や柄があって義母の姿が蘇る
まとまって家を出てゆくのは衣類と言えど切なく忍びない
かといって残しておいても仕方なく、こうするしかないのだと言い聞かす
軽トラの荷台に積んで昨年新設された産廃処理センターにむかう、晴れ上がった空が哀しい
義母を連れ来たこともある銚子塚古墳に立ち寄る。桜はあと一週間ぐらいだろうか
昨年の桜が咲く前に死去した義母、4月初旬の小山城址で母の遺影とともに花見をしたあれから一年。。
処理センターへの上り坂から真っ白な白根三山が見える
真新しい処理センターは広大で笛吹市、甲府市、甲州市、山梨市をカバーする
横浜で育ち、神奈川で暮らした義母の遺品が私の郷里山梨で最終処分される
係りの人の指示にしたがい、工場のような巨大なスペースに誘導される。現代生活の消費量を痛感した
衣類を置いたパレットの後ろには巨大な深いホールが口をあけていた
その大量の廃棄物のなかに義母の永年の衣類が無造作に落ちていくのは見たくない
いつもながらのグロテスクでショッキングなこの光景はしかし、これぞ現実である
なにも逃げるように立ち去ることもないし、淡々とした日常の作業と考えればいいのだ
空になった軽トラで帰路に向かうとき、あの衣類を置き去りにしたうしろめたさがよぎる
この非合理な想いはなんだろう。罪なことでもないしむしろ断ち切るべき想いだろう
死去して一年を経て、その衣類もなくなった。こうして人がこの世から去ってゆく感触をしみじみと噛みしめる
過去から万人がそうして去って行って、私もそうだろう。親の死はそれを子に、身をもって教えているように思える
丘の向こうにまばゆく春の陽光をあびた山が、いつもと変わらぬ姿を見せている
いろんな喜怒哀楽をこめて眺める心を、山は変わらぬ姿で受け止めてくれる
執筆者: kazama
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