JOURNAL SKIN
by : DIGIHOUND L.L.C.
〒658-0001
Higashinada, Kobe, Hyogo JAPAN
12月だというのに 黄葉とこの落葉
11月28日。雨があがり、雲間から雪の山が見えた
その年の晩秋の雪は 厳かな気分になる
11月28日早朝 お寺の紅葉がやっと始まった
子供のころは10月が紅葉のイメージだったが
いつしか11月になり、12月にも及ぶ感じ
いずれ新年に紅葉なんて時がくるのだろうか
ノベンバー。。どういう意味だろう。。
単に11月というなら、イレブンでいいのに
日本の「霜月」にあたるような意味を知らない
10月31日 終わる10月 清里の夕暮れ
10月26日
病葉(わくらば)を 今日もうかべて
街の谷 川はながれる。。昔の歌の一節
いつも立ち寄る川のほとり このところの雨の増水
いのちの水は また命を奪いもする
その不条理を 私たちは 呑みこむしかない
むかしから命の水に 私たちは 祈るしかない
10月22日 今日も雨。。
被災地に 降らないでほしい
アルプスや八ヶ岳2700m以上に降雪があった
蒼い夜明け blue is the color
ピンク フロイドのタイトル風にした
台風が去っていった空。。
バイクは夕暮れが肌身にせまってくる
10月14日 台風19号の 嵐去って。。。
暴風を警戒するも、記録的大雨による河川の氾濫や決壊多発
人間は古来より 幾多の大災害を乗り越えてきた
どうか へこたれないで。。
10月9日 0530の始発バスがこんなに暗い 晴天を狙い超満員
10月7日 遅かった彼岸花も、はや去ってゆく
二歳にならず亡くなった姉の富士子の気配が、ふるさとに漂う
富士子に会いにいくような積りで訪ねたが すでに枯れた寂しさ
この田んぼにも来たのだろうか その僅かな生涯の証が欲しい
田んぼから南を見る 晴れていれば富士山が見える 富士子の由来
10月6日 航空学園の航空祭にバイクで行く
久々のF104の、これがベストアングル J79の澄んだ音が蘇る
一転して帰りにあったコスモス畑 可憐さと寂しさ
白は清楚 風に揺れる
もの想う秋
10月 高い空から 枯葉が舞って。。
この写真は7年前、残り少ない伊勢原の家に射す朝の光を撮ったもの。
この月末に引越し・家は解体されたから、この空間は今はない
歳月を経て見ると、この写真の主役は縦に入った日付である。
これも伊勢原の光景。巨大な偶然の造形には畏怖の念を感ずる
フィルムで撮った証としてフレーム込みでスキャンした。
左の二か所のノッチがハッセルで撮った証
伊勢原の空気をフィルムという物質に遺したかった
10月は この変哲もない お気に入りの場所で
夜明けの蛾は9月をあとに、どこへ行くのか
9/28 運動会
この写真の見え方はどこか哀しい
たまたま美しい白い雲があって
その下で無心に踊る児童が限りなくピュアに見えた。
この今は いちどきり 未来永劫 宇宙に二度とない
子どもの純真と可憐さは人生の中でほんのひととき
やがて誰しもが失うもの
無心に踊るこの子たちはまだ そのことをわかっていない…
晴れた日に 垣間見える哀しさは奥深く,うまく表現できない
子供のいない椅子が 何かを語る
9月8日 台風15号が来るという 夕刻の空
こういう時の空は いつも妖しく 美しい
それは天候の凶暴さに比例し 皮肉めいた美しさがある
危害を受けるものを 美しいと感ずるのはなぜだろう
抵抗できないものを受け入れる せめてもの心理なのか
美の根源は順応であり進化なのか 美しさには牙がある
9月6日は上弦の月 なかなかのシーイングでした
8月31日は なにか特別な日
夜まで燃えていた 8月の送り火
… 送り火 …
…忍び難きをしのび… 炎天の静寂のなか
日本の解体への不安や各人の覚悟が
どんな山村の隅々までも沁み渡っていった日…
その8月15日を核としたお盆が、淡い煙とともに去っていく
夏の盛りが微妙な陰りを見せ始めるこの時期に
先祖や肉親への思慕を込めた深遠な風習…
この国の風土と融合したお盆の情感はうつくしい
盆が早よ来りゃ はよもどる
お盆が待ち遠しい でも早く来ればそれだけ早く戻らねばならない
奉公人のそんな哀感を唄ったのかと解釈していたが違うらしい
お盆の風習は まことに深遠で美しい 八月は 祈りの月
伊勢原の自宅から 歩いて行けた店
片言の日本語と笑顔
もう一度行ってみたい あの頃の夕暮れ
八月八日 立秋 もうすぐ盆の深遠
2012 8月4日 39度の熱
思考が脈絡なく堂々めぐりになる
子供の時いつもこうだった。
窓の外は抜けるような青空に白い雲
洋上訓練を終えた艦載機が帰ってくる
27年 慣れ親しんだ この風物詩
七年前の今日は寝込んでいた
病んだ床から見る空は沁みる
解体された 神奈川の家の窓からの空
まだ厚木に艦載機がいた頃…
私の日常だった あの窓の空
7月29日
…1人の死は悲劇だが 数百万の死は
統計上の数字にすぎない…
一旦は駆除した蛾も数日のうちに再び大発生した。
産卵を終えると死んでゆく個の生態は厳かであり畏敬の念さえも湧く。
しかし総数の問題と捉えると切実な課題であり個としての尊厳は消滅する…
人間社会でも これが世界や国家の構造なのだろう。
冒頭の言葉は,たしかスターリンだった‥
今朝も出勤前にここに来た
この何の変哲もない風景に、言葉をこじつければ重厚かつ格調高く、スタンダードとはこの事だと言える渋さがある。
折からの台風の予兆の不穏な空は,19世紀の西洋画の空のようだ。
何故かピクニックの馬車の平和な光景の後ろの空が,何故こうも不穏なのか…そこに西洋人の心の闇があるのかと思っていた。
この風景が私の中でいつまでNo.1の絶景(笑)でいるのか,それも興味深い
7月19日 Pm4時 降り続く雨に増水した野呂川の流れ
流れる川は絶えずして 同じ水に非ず。。誰もいない吊り橋で、ふと山から還らない人を想う
7月15日 朝の梅雨空のなかで、絶景と出会った気がする。。 7月14日(日)午前3時に家を出て、閉店した個人商店前を通る ラジオから昔の歌謡曲 明けやらぬ闇にジェリー藤尾の「遠くへ行きたい」 雨の街 どこにも属さない時間 濡れた道に信号が映える 甲府市街を通り抜け 芦安へ向かう 芦安の山あいは夏至を過ぎ、いくらか遅くなった夜が明けてくる 芦安の始発は5時15分 車で来た乗客を案内する
しかしこの風景を絶景と思う人はたぶん居ないだろう
また絶景という表現はこの風景に相応しくなく、情景の方がしっくりくる。
自分でも、なぜこの風景をこれほど気に入ったのかは分からないが、たぶん勤務前のひとときに、この穏やかさと変哲のなさが沁みたのだろう。
そういう心理を通して事象をみるのだから、見るもの全てが情景であるともいえる。
老境になるにつれ善しとする風景が変わってきて、ごく普通なものや,どこにでもある地味な風景に普遍性や安心感を感ずるようになってきた。
この風景は小雨模様のなか、河川の堤防の上の小径。。雨量計だろうか,測量用のポールも好ましい、昔は邪魔とした人工物が、むしろリアリティを感ずる。
こんな、どこにでもある風景を善しとする様になってきたのは、幸せなことだと思う。
ふと思ったのは19世紀ごろの西洋人がよく描いた絵画がこんな風だった、気候風土のせいか、その背景となる空がいつも重厚に描かれていたのが印象的だった。 社用で海外へ行ったとき、よくホテルの一室にこういう地味な絵が飾られていて、西洋人の心の風景はこういう地味なものかと思った。
たぶんここは、来るたびに立ち寄って、私だけの情感に浸れる場所になるだろう。
伊勢原時代に,ウイリーの練習をした農道に寄った。
おりしもの雨のなか、懐かしい農道を 高校生が帰っていった。
家に帰ることは 自分に帰ることでもあるだろう
社会の中の自分から 子ども時代からの自分に還る
繭の中のような 自分というふるさとに還る
繭の中で想ってきたことが いちばん大切なこと
それを実現することが 大人になってゆく自分の役割
大切な自分を友として 自分らしさで歩いてゆく
静かな参道の下り カーブを曲がったらこれがあった
その脱力感。。一瞬首つり。。心底ギョッとした
そうか、暑いからここで脱いで枝に掛け,登ったのだ
自分のしたことが不気味に見える。。この先もあるのだろうか
大塚古墳 1400年前から ここの明け暮れを見てきた
この美しい花を なぜかハエ取り草と言うらしい
花はその在り様というか、その佇まいがいい
7年前の4月29日 神奈川に居た頃の日月神社のお祭り
幼い妹を気ずかい手を引き つつじ咲く石段を下りた姉妹
今はもう大人びて 今年はお祭りに来たろうか
やがて巣立つこの姉妹にも なつかしい神社の石段になってゆく
5月13日 昨日に続き龍神様御降臨
カラスのエンドウの咲く道を バイクで山へ
坂の上のあの雲は
自分が雲であることを知らない
というか自分というものでもない
ではなにがあの雲なんだろうか
主体がないことを 人は理解できない
世界の容れ物には 意思も目的もない
リニアの見える丘 花鳥山古墳
雑草とされているカラスのエンドウ 路傍に今を盛りと美しく咲く
雨の夕刻 ムーディなヘッドライトの灯り
冬至には南端の笊が岳に沈んだ太陽が折り返し すでに北端の甲斐駒を越える
鋸岳第二高点と第一高点の間に沈む太陽
夏至までさらに北上を続ける
すっかり葉桜の季節もおわり 夏姿の小山城址
嵐の前の銚子塚 前方後円墳に登る
このあと激しい雷雨と地方によってはヒョウが降った
10連休が終わり 華やいだ春が一段落する
4月19日 満月
菜の花畑に 入日うすれ
夕月かかりて匂い淡し
暗くなるまで遊んだ 小山城
4/8
夕暮れから妖しい空模様になり強烈な風が吹いた
遅く満開になった桜もこの風で散るだろう
後釜の桃が日増しに勢いを増してきた
神奈川県伊勢原市にある渋田川の桜
卒業記念だろうか 川を挟んで先生が撮る
送り出すその想い この子供たちの人生に幸あれ
3月22日は卒園式。最後の登園 忘れ物はないか
横断歩道を渡り幼稚園に向かう
雑木林の脇を通る
住宅地の中をあと300m程
2月の想い出
5年前の豪雪のあとの純白な雲
雪降る舞鶴漁港
必ず立ち寄る敦賀港への路地
静御前のふるさとの 荒れた海
能登ヤセの断崖にある義経の船隠し伝説のある地形
西は余部灯台へ 日本最高所の灯台
今年も能登猿山灯台に行けた
逢瀬の谷から海へ 清流の旅もあとわずか
北陸道名高SAにて 小雪模様
名高をあとに 未明の妙高への路
越前の水仙も そろそろ終わり
一月が終わろうとするころ 降り出した雪
遠い国から 降りてくる。。
雪灯りにうっとりする夜 寝るのがもったいない
1400年ここにある古墳。。いにしえから降り積もる雪
明日は26夜だろうか。京戸山から未明に上がる月
5時過ぎ。月の上が金星と木星 右の雪を被った蜂城山から夏の星座さそり座が上がる
宵の口にさそり座が見える頃はもう盛夏 今夜も熱帯夜とかいう時期
星空の季節感は天候に左右されず(笑)実に律儀に営まれる
未明6時からの荘厳な勤行 静寂と その様式美
日没に吠える赤石 南アルプスの盟主
聖岳は頂上部分だけ見える
西方浄土へ去ってゆく 2019年2月1日という日
一月22日 明け方の西空に沈む月
一月22日 16夜の月 上縁が陰になり始める
1月21日。今年初めての満月。澄んだ冷気に青く濡れた光が降りそそぐ
冬至から一か月。。夕暮れは遅くなり、夜明けの遅さもついに底をつき春へと向かい始めた
夜長を好む私に、夕暮れと遅い夜明けを楽しめる晩秋から冬にかけては寒いとも景観がすばらしい
その憂いに満ち、深淵な夜の季節が終わることは、バリアを剥がされ居場所がなくなる思いがする
もう一つの本音を言えば、怠け者に都合のいいシーズンが終わるともいえる
年賀状の写真。。越前の水仙
mind(心)は寂しい海を向いて咲く花の生きざま
あっけらかんとした元旦の日の出 新年おめでとうございます
甲斐駒は距離をおいた我が家からがいちばん端正なことに気が付きました
数年前の朝。。こういう姿を記録しておきたいと思います
大晦日の神の火
執筆者: kazama
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