JOURNAL SKIN
by : DIGIHOUND L.L.C.
〒658-0001
Higashinada, Kobe, Hyogo JAPAN
年に2回の粗大ごみの日。登山用の青のフレームザックは嵩張り、捨てるつもりでいた。
いざ捨てるとなると50年近く共にいた感慨がわいてくる。
この風変わりなザックはバックパッカーが平地を歩く用途に生まれたもので背負いやすく歩きやすい。しかしフレームが露出しているので木の枝や岩にぶつかりやすく早いうちに廃れた。しかし雑多なものを運ぶには適していて大型カメラを持っていくときとか最近では2Lのペットボトルを10本以上入れてトレーニング用に使った。
単身赴任の9階建ての寮住まいで、誰も歩かない非常階段を30分かけて5往復をノルマにした時代があった。事情を知らない寮生たちが不思議な物音として不気味がったと聞いた(笑)
この青い色をみると階段に反響する靴音が蘇ってくる。。
(フレームザックと共に登行した日。。
まだ黒戸尾根がメインだった甲斐駒にて)
そんな沁みついたものがあっても、しかしそれが持っている理由にはならない。
ともすれば用途を捻り出して持っていたりするが、それではいつまで経っても物は減らない。
結局はゼロにはならないのだから思い入れのあるものは持っていれば、という理論もあるが、それでは処分を次世代に託すことになる。
託された子は子で親の遺品となったものを捨てる忍びなさは却って当人以上ではないか。。となればやはり当人の範疇であるだろう。体の動く億劫でないうちにと思う。
地域の集積所に他の廃棄物のなかに置いてくる。。その姿をみるのはつらい。私とこのザックの、この世の縁がこれで終わる 今生のお別れに、ありがとうと思う。。
これからいったい、どれだけのモノとお別れをするだろう。先が思いやられるが修行とおもうしかない。
山と同じで下りは難しい、まして先のない老いの下り路。。世にそのことの救いになる言葉も哲学も見当たらない気がする。。
捨てることによってなにかを得たいと思うが、見つかるだろうか(笑)
執筆者: kazama
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