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2019年02月27日 15時28分 | カテゴリー: 総合

脳は言葉で考えているか。。。

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私は考えることを言葉でしているのだろうか…という疑問が昔からある

もし言葉だとしたら言葉のない時代には考えられなかったことになるから、そうではないだろう。
しかし言葉を得てからは考える方法が変わったのではないだろうか。風景などを思い浮かべるときは明らかに言葉ではない。しかし論理性となると言葉で考えてる気がする。言葉にしないと整理できない。
その言葉を持たない動物には論理性というか、理屈はないのだろうか…
たぶん理屈より経験則から学んで生きていて,それは遺伝子にも組み込まれ伝承している。
経験則と理屈の違いは汎用性というか類推や分類,応用性ではないか。
人間は言葉を得ることによって思考が体系的になり経験していない領域まで切り込んでいくことができるようになり、ほかの動物にない文明をもった。
 ウイリーに凝っているとき,手帳にコツを書き留め、自分のものにしようと思った。初歩段階はその必要性さえないが、高度な領域になると極めて微妙で、また心のありようまで加わって来て言葉に翻訳できなかった。しかし言葉にできないと固定化できないし人に教えられない。いちばん大切な領域は何の分野でもそうではないだろうか… 。職人技は「盗め」とかいうが、暗黙の師弟関係の姿勢のみではなく、教える側も言葉になっていない、また出来ない領域だからなのだろう。
聖域は言葉ではない‥ とは確かにそう思うが,しかし今のところ伝達手段は図面や絵は別として、言葉にするしかない。大切なことほど言葉ではない世界だとは思うが。だからと言ってそれを言葉にする努力を放棄しては未来がない。

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執筆者: kazama

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