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by : DIGIHOUND L.L.C.

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Higashinada, Kobe, Hyogo JAPAN

2019年03月04日 20時59分 | カテゴリー: 総合

新日本典型 

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隣のご主人が亡くなり、辺りを包む空気感が変わった。
ことに夕暮れどきなど、家の見え方がたまらない。たとえ寝たきりであっても、だからこそ、ぽっかり空いた空間がある。ともに暮らした奥さんはどう想うだろうか。
たしかに解放されたということも言える。しかし負担は一面では、尽くす充実感でもあったろう。
ものごとは表裏一体であっても、今は失った哀しみなのだろう。

 お隣近所は6軒で構成され、その一軒は半年ほど前に空き家になり、夕刻になってもあかりの灯らない寂しさを辺りに及ぼしている。。周囲の畑は後継者不足で次第に桃や葡萄の木が減っている。
 そして甲府駅前の65年続いた百貨店の閉店が決まった。私の子供時代には甲府という都会の象徴だったデパートの閉店は寂しい限りだ。。駅前は最近リニューアルし、再興が期待されていた矢先で大手の閉店は大きい。大小の小売り店舗の不振はネット販売など流通形態の変化があり、そこには私自身も消費者の一員として関与している。
 事業は撤退ばかりで空いたテナントは表通りでも埋まらない。これはなにも山梨だけではなく、この寂しい潮流が今の日本の典型的な光景になっている。

 私が小学生の頃の日本の人口は9500万程だったと記憶する。それでも日本は資源がないのに人口が多すぎると教わった。私たち団塊の世代が育ちざかりで全人口に占める高齢者は10パーセントに満たなかった。そして高度成長が青春とリンクし、入社した時は経済成長が135%。三年で倍になると言われた。経営者の頭の中はいかに拡大し、多角化するかしかなかった。そのバブリーな感覚は為せば成るという楽観論と自己責任論が目立った。私は5人兄妹だが、当時はそれぐらいはざらにあった。山村までも子どもがいっぱいいて、5月の鯉のぼりや旗が薫風にはためいていた。そんなふるさとを後にして都会に出て、クルマやバイクも買えるようになり、モータースポーツも黎明期でみんながカーマニアになり、日本GPなどは何万人も動員された。。
 しかし育ち盛りに貧乏国なのに多すぎると言われた人口の当事者として、暗黙のうちに罪悪感みたいなものがあった。また人口爆発への恐怖感、隣の中国の子一人政策を横目に、また高学歴化の教育費高騰もあって、急速に社会が少子化へと移行した。
 人口が減少するのは良いことだぐらいに思っていたが、農業国から経済大国への変化で成長の神話が浸透し、消費の減少は許されない構造になっていた。やがて人口減の弊害が言われ始めた頃、バブル経済が破たんし、すでに多産どころか未婚の選択肢を持たざるを得ない社会環境にもなって,そこから抜け出せず平成が終わろうとしている。。
 今後も人口減少の潮流は止めようがなく、2040年ごろには再び9500万を割り始める。しかしそれは元に戻るのではなく高齢者が数パーセントから40%の国に変貌している、いわば別の国の、似ても似つかぬ構成の9500万人といえる。世界から注目される超高齢化を迎える中核を締める世代の当事者として、誠に居ずらく肩身が狭い。
 私たち団塊の世代は日本という国家の大きな波のようだ、私たちが行く先々で社会の環境が変化する、受け皿がないから変化せざるを得ないのだ。先輩を見てああなると思っても行ってみればそうはならない、いまの老人福祉の環境が維持できない予測はとても怖いことだ。
 厚労省から地域の老人の相互見守り、健康維持への体制造りや協力依頼の動きがあるが、医療や介護保険の破綻への危機感の現れで、医療費抑制の為の健康維持活動の要請である。
 私たち団塊の世代は、日本のいちばん賑やかな光景を見てきた、いまのこの凋落傾向の風景が、ことさら胸に応える世代でもある。いくばくかの罪悪感めいたものもあって。。。
 2025問題は私たち団塊の世代が75歳の後期高齢者に入る時期を指していう。その国家的負担の当事者としては胸に応える言葉だ。私たちはこれから先、どう生きて行けば良いのか。
 これから先、この凋落の憂いに満ちた光景はさらに加速していくだろう。日本人は、この寂しさに耐えられるのだろうか、とさえ思う。。耐えられなくても生きていくしかないが、次世代への負担になりたくない、その為にも、長生きはともかく(笑)健康がのぞましい。
 こうやって他人事のように言う私はしかし、若い時からひねくれて、バブリーな光景に背を向けてきた。寂しさは私の糧である、とか無責任なことを言いながら。なぜ環境まで蝕んでも成長しなければいけないのか。。千年でも同じ暮らしをすればいいではないか。先を見なければルーツを学び、ものごとの深みは増すだろう。停滞は腐敗をも生むだろうが、それを発酵ともいう。
成長神話といっても経済の話であって人間の成長は置き去りにされ、資本主義の力学である富の集中と格差を産んだ。。とまあ仙人のようなことを言ってきた 
 寂しさのなかに身を置くと、自閉症の子供だったころに戻れたような居心地のよさがある。
病んでいるとも思うが、賑やかすぎる空間には適合できなかった。友達どうしのパーティなども苦手であり、趣味としていた登山は9割が独りで、その孤立感にこそ意味を見出していた。深い闇のなかで丸まって寝るとき、同じ山で孤独の夜をすごす動物たちとの共感と動物たちに対する申し開きが立つ気がした。
 その静寂と孤独は私のなかで、いちばん死に近い行為であり、死の練習であるような自らへの意味付けをした。その長い夜からテントの生地をうっすらと染め、しのびよって来る朝の嬉しさ、それは「この世の最上のものは夜明けである」。。という観念になった。それだけでこの世は生きるに値する。家にいても、夜明けには立ち合いたい、灯りもPCも付けず、そして音楽も聞かずに、ひそやかにやってくる朝の、その白紙の純粋さに浄化されたい。。無神論者の私だが、そのなかで宗教じみたものがあるとすれば、この夜明けへの祈りのような行為である。
 逆に死を定義すれば、私に夜明けがやってこないことである。肉体の滅亡はその単なる要素である。この世の夜明けに立ち会えるうちは生きたいと思う。私に残された生き甲斐がそれだけになってもいい。この夜明けの厳かないとなみは私が死んでからも続く。
山の広大な雲海や遥かな山並みを見るとき「ああ、永遠が見える」と思う。その言葉こそ生きるなかで最上のものであり、同時にそれは命の儚さを示されるものであって、それ故に、やがて行く永遠を垣間見る陶酔感がある。

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死は究極一人でいくしかない。死にまで寄りそってくれる人はいない。そんな哲学からではないが、遊びは独りで、という信条があった。今となっては家族との遊びを犠牲にした甘い悔恨がある。。しかし友達といる愉しみを知らなかった訳ではなく、それはそれで愉しかった。沢登り程度だが確保が要るような山では友人とザイルを結び、命を確保しあうという、痺れるような充実感があった。それとは別物として、またその上位に一人の世界を持ちたいと思ってきた。
 何日も山に一人で居るとき、自分が二人に分かれる感覚がある、行動する自分と、その管理者としての自分。それは普段からの構造なのだが、第三者という要素が入らない山ではより明確になる。そして山から降りた人混みのなかで、山の想い出を胸に、自分と密かに語り合う。あの山で踏みしめた道を知っているのは自分しかいない、そのことを語り合えるのは自分である。自分ほどだらしない奴はいないが、また自分ほど気が合って、また永遠に続く美に憧れ、心底語り合える奴はいない。自分の究極の友達は自分である。
 死に際してまず、家族との別れがあって、「今までありがとう」と言うだろう。でもその先には自分とのお別れがある。自分であることを止めるのが死の最終段階である。生まれた日から、幼い子供の時から付き合ってきた自分、その世話になった手足や骨肉と、すべての事象を見てきた、またそこからの視点と認識で宇宙を見てきた目と脳と、全てとのお別れに際し、なんと自分に声をかけるのだろうか。。
 老人の健康管理やボケ防止に、社会との接点を持ちなさいという。民生委員の活動でも、老人の社会参画を促す活動をする。他人との関りが多いほど認知症になりにくいという。人は社会的な生き物だから確かにそうだろう。そんな活動をしながらも、つい個人に立ち返り、自分の子供時代を想う。孤立を悲惨なことのように扱うが、中にはそれを好む人もいて、無理やり引っ張りだされるのは辛い。私の幼稚園時代はまさにそうで、人生でいちばん辛い時期は仕事でもなく、むしろ幼少時代だった。
 老人がいくら社会参画をしても、やがては伴侶も失い独りになってゆく。その時に、独りの世界を持って来たかどうか。つまるところ独りで遊べるかどうか。
 さらに寝たきりになったとして、窓際で空の美しさを感ずることができるかどうか。。。
私としては独りで遊んできた方だから 前向きに(笑)静かな老境に向かって生きたい。
寂しさは本来が侘び寂びと言った視点で楽しんできた筈である。
退廃もこの世の常として諸行無常という悟りはあった筈である。
さらにもし、これから貧しさも訪れるとして、「清貧」という美学が日本人にはあった。この「清貧」こそ文化文明に名を借りた飽食に、またそれを許されなくなる状況のなかで唯一の人間の尊厳を保つ精神構造であり美学であるように思う。。
 だがしかし、これも今の時点での私の気持ちであるに過ぎない
さらに足腰が衰え、外出もままならぬ時にどう思えるかどうかは、なってみないと分からない。
わからないけどその時点で愕然としたとして、ああ先輩もこうして歩んでいったのか。。とは思えるだろう
 私のよく口にする、たぶん永遠の問いがある「死刑になる朝に、空を美しいと思えるだろうか。。」
 まあこれから死刑になるような罪を犯せば分かるだろうけれど

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執筆者: kazama

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