JOURNAL SKIN
by : DIGIHOUND L.L.C.

〒658-0001
Higashinada, Kobe, Hyogo JAPAN

2019年09月17日 15時57分 | カテゴリー: 総合

遥かな夏 遠い空

20190916-dsc04713_00001.jpg

( 方丈記 )

 20年くらい前の,子供がまだ小さい頃、長野の姥捨駅近くの聖高原によく行った。
姉のバイト先のスーパー。ヤックス所有の聖山荘があり、夏休み期間中には子供キャンプが行われていて賑やかだった。姉の一家と未だ若かった父母、たまには弟一家も加わり聖山荘へ行くのは私たち一族の夏の中心的行事となっていた。
 時は流れ、子供たちは巣立っていき、父母も亡くなり、聖高原は,よき時代の象徴として、子供たちの残像と共に記憶のなかで美化されていく。

年齢を重ね先の時間が少なくなるにつれ、過去のウエイトが増し、最後には過去のみになる。それは自らが失った若さの中の出来事であるだけに喪失感を伴ってみえる。
 そして出来事としてより、過ぎて行った時間という見え方になってくる。出来事であれば同じことをすれば再現できても、時間となれば決してそこに行くことはできない。
「川の流れは絶えずして、同じ水に非ず」まさに方丈記のそれであり、普遍的な時の見え方である。
 その聖高原をもういちど、いささか自虐的嗜好も加え、過去がどう見えるか行ってみたくなった。自虐と言っても趣味の範疇で、それは先に行った先輩たちの人情に触れることであり「もののあわれ」を知ることだろう。

20190916-dsc0e4717_00001.jpg

訪ねたこともある 知人のログキャビン 今はいずこ

20190916-dsc04711_00001.jpg

聖山頂を訪れる 眺望は素晴らしいが霧だった

20190916-dsc04707_00001.jpg

子供たちがここに座って眺めていた日。。

( 遠い夏空へ )

 長野へ降りて行く県道から左へ聖高原へ上がって行く。あちこちに別荘があるが、大概は訪れている形跡がみられない。ご時世はいずこも同じ状況にあって、世の凋落ぶりを物語っている。

20190916-img_e5701_00001.jpg

記憶に残る 聖山荘

 ヤックスの聖山荘がどの辺りだったか、うろ覚えで走るうち、通り過ぎてしまったようで、見覚えあるキャンプ場についた。途中にあった筈なのに見落とすとは考えられない。同行した息子はまだ幼稚園ぐらいだったから土地勘はない。ネットで検索すると
「聖山荘は2017年7月に解体されました」とある。どうりで見つからない訳だ。
 やはりほぼ跡地に立っていたわけで、そういえば玄関への道だったと思われる緩い坂が木立のなかにあって、その先には忽然とした夏空と平地になっている。

20190916-dsc0e4721_00001.jpg

聖山荘への道 その先の空

 その坂を辿って聖山荘を偲んでみる。。父母もここを上がって、一家の夏休みが始まったのだ。。一段高くなった辺りがよく泊まった部屋のあたりで、二階だと思っていたが台地の上だった。
夏草の台地に立って、ここでの様子を回想してみる、父母の笑顔、はやし立てられ、同じギャグを連発していた幼稚園児の息子。。
 セミの声のなかで、この台地にも私にも、あの日から同じ歳月が経ったことを噛みしめた。

20190916-dsc0e4724_00001.jpg

20190916-dsc04725_00001_01.jpg

泊まった部屋と思われるあたりの台地

20190916-dsc0e4727_00001_01.jpg

聖山荘から降りる道。。 幼い日の記憶をたどる

  こんなとき、いつも浮かんでくる曲がある「アルハンブラの想い出」スペインのタレガ作。
クラシックギターの難曲とされる。盲目のタレガが、アルハンブラ宮殿の印象を曲にしたという。日本で言えば「荒城の月」といったところだろうか。洋の東西の叙情歌があるが、日本人のものは解り過ぎて直截的。対して西洋人のものは難解な故もあり奥深さとスケール感が心に残る。

20190916-dsc04716_00001.jpg

 ( 出離 )

 もしここが、想像していた廃墟になっていたらどうだろう。それは情感より無残さだったろう。
 こうして更地にしたのは40年以上続いたという夏の行事、それを支えた山荘と土地への礼節ではなかったろうか。
 何かを偲ぶとき、その偶像があるよりも、何もない方が想いを込められる。
 もう二度とここに来ることはないだろう。聖山荘の跡地をあとにするとき、それはこの場所との別れというより、ここで過ごした時間であり、その時代を置いてゆく感じがする。ここの時間と思い出はこの場所でのものであり、この座標にしみついたものだ、それを丸ごと持っていくことは出来ない。
 あの時代を過ごした夏の日々、若かった父母や、幼かった子供たちと、この土地との一期一会。立ち去る時の想いは、そのことへの恩義である。愛しい時間をありがとう、と目礼し、聖山荘の跡地とお別れしてきた。

20190916-img_0689_00001.jpg

執筆者: kazama

This post was displayed 767 times.