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Higashinada, Kobe, Hyogo JAPAN

2020年01月28日 20時45分 | カテゴリー: 総合

京戸川扇状地  古代の雪

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1月27の夜、静かだなあと思ったら雪 ブドウ園が白くなる

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お隣さんがまだ明るい 県道も白くなる

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大雪警報だったが5センチほど 良かった

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降ったなあ。。猫とランクルが雪を眺める

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峡東地区全体が白くなった

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ほぼ日課になっている蜂城参り 40分程の急登

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6割ほどの所にある燈明
かって8月24日の夜祭は賑やかだったという

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738mの頂上は武田の時代は山城
江戸時代から菅原道真を祀ったお天神様

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連綿と続いた子供の書道展は3年前に終わった
せめてもと小学生姉妹の書が山宮に瑞々しい

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蜂城を里宮とする母が嫁いだ 八幡村の遠望

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蜂城を降りる

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冬枯れの樹幹から盆地がみえるのだが。。今日は霧の風情

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母の郷里の蜂城が 今や私の里宮  小学生の母が辿った道

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蜂城山の麓、京戸川扇状地には総数60という千米寺 石古墳群がある
釈迦堂遺跡ともいい、竪穴式住居跡の遺構も多い。出土品の土偶は
多くが割れ、離れて出土する。病気や安産の祈りに使われたという。
医療もない時代、祈りからくる敬虔な暮らしだったろうか
埋葬の瓶のなかで子供のものは住居の入り口から出土したという。
当時は子供の死亡率が高く、幼くして死んだ子への想いが偲ばれる
この土地に確認できているだけで4500年に亘る暮らしがあったという
今と縄文時代が繋がっている。それがここに住むことの充実感である
もしや母も私も、ここに住んだ縄文人の子孫なのか(笑)

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鎧塚古墳とある 石室なし 崩壊の古跡だろうか

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ここから笛吹川の流れ 明かりひとつない甲府盆地の向こうに
今と変わらない南アルプス もっともどう呼んでいたか分からないが

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畑の中の7号基古墳 農具や肥料の置き場にもなる生活感

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物見塚とある 勿論古来の命名ではなく 早くて中世か

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物見塚ならぬ三菱コルト塚(笑) ここまで走ってきたには違いない
息絶えたのか それともここで引退したのか。。

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千米寺 石古墳群最大の一号基大塚古墳 広い石室が今も健在
この畑の中で(古墳が先)1400年 盆地の 地域の変貌を見てきた 

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の中の8号基古墳 石室は健在 人力でこの巨石をどうやって。。
この石室の完成を祝った遠い日は もしやこんな雪だったか。。
その日が きのうになりおとといになり 一か月一年になり10年...
その日から 千有余年。。その日と今日がつながっている

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執筆者: kazama

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