JOURNAL SKIN
by : DIGIHOUND L.L.C.
〒658-0001
Higashinada, Kobe, Hyogo JAPAN
1月27の夜、静かだなあと思ったら雪 ブドウ園が白くなる
お隣さんがまだ明るい 県道も白くなる
大雪警報だったが5センチほど 良かった
降ったなあ。。猫とランクルが雪を眺める
峡東地区全体が白くなった
ほぼ日課になっている蜂城参り 40分程の急登
6割ほどの所にある燈明
かって8月24日の夜祭は賑やかだったという
738mの頂上は武田の時代は山城
江戸時代から菅原道真を祀ったお天神様
連綿と続いた子供の書道展は3年前に終わった
せめてもと小学生姉妹の書が山宮に瑞々しい
蜂城を里宮とする母が嫁いだ 八幡村の遠望
蜂城を降りる
冬枯れの樹幹から盆地がみえるのだが。。今日は霧の風情
母の郷里の蜂城が 今や私の里宮 小学生の母が辿った道
蜂城山の麓、京戸川扇状地には総数60という千米寺 石古墳群がある
釈迦堂遺跡ともいい、竪穴式住居跡の遺構も多い。出土品の土偶は
多くが割れ、離れて出土する。病気や安産の祈りに使われたという。
医療もない時代、祈りからくる敬虔な暮らしだったろうか
埋葬の瓶のなかで子供のものは住居の入り口から出土したという。
当時は子供の死亡率が高く、幼くして死んだ子への想いが偲ばれる
この土地に確認できているだけで4500年に亘る暮らしがあったという
今と縄文時代が繋がっている。それがここに住むことの充実感である
もしや母も私も、ここに住んだ縄文人の子孫なのか(笑)
鎧塚古墳とある 石室なし 崩壊の古跡だろうか
ここから笛吹川の流れ 明かりひとつない甲府盆地の向こうに
今と変わらない南アルプス もっともどう呼んでいたか分からないが
畑の中の7号基古墳 農具や肥料の置き場にもなる生活感
物見塚とある 勿論古来の命名ではなく 早くて中世か
物見塚ならぬ三菱コルト塚(笑) ここまで走ってきたには違いない
息絶えたのか それともここで引退したのか。。
千米寺 石古墳群最大の一号基大塚古墳 広い石室が今も健在
この畑の中で(古墳が先)1400年 盆地の 地域の変貌を見てきた
畑の中の8号基古墳 石室は健在 人力でこの巨石をどうやって。。
この石室の完成を祝った遠い日は もしやこんな雪だったか。。
その日が きのうになりおとといになり 一か月一年になり10年...
その日から 千有余年。。その日と今日がつながっている
執筆者: kazama
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