JOURNAL SKIN
by : DIGIHOUND L.L.C.

〒658-0001
Higashinada, Kobe, Hyogo JAPAN

2020年02月27日 19時33分 | カテゴリー: 総合

能登の秘境猿山岬へ

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いつも甲斐駒を見ながら山梨を出る 行きたかった黄連谷右股
山岳会に属さない単独行にはハードルが高かった

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鋸岳の険しい山稜

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鋸岳の手前は甲斐駒と鋸岳間の三つ頭に至る日向山八丁尾根

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八丁尾根の雄 烏帽子岳の急峻な山容

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早川尾根とアサヨ峰(右)の案外な険しさ

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 奥穂から西穂と思ったら前穂と明神岳 想えば前穂は未踏だった
傲慢にも前穂はいずれ北尾根から登りたいと思っていた
奥穂へ唐沢経由、重太郎新道で前穂経由より 岳沢から天狗のコルを右へ
ジャンダルム経由で奥穂に至るのが速いこともあり未踏となった

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松本から左折し中部横断道のトンネルで飛騨路へ
 岐阜から富山への高山線の踏切

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折から特急飛騨号が通過する

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富山から砺波 高岡 七尾 志賀を経て赤神海岸着は2200 
山梨から400㌔越えた。翌未明の猿山灯台の灯り
能登の秘境と言われる猿山岬は車道もなく訪れる人もない

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皆月から伸びる県道を猿山灯台へと登る

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林道終点の東屋

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娑婆を捨てて見たくなる所? 娑婆捨峠

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ここへテントで何度も泊まった 日本海の海鳴りが届く夜。。

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その後ろは数百メートルの断崖が日本海まで切れ落ちている

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断崖に付いた細い道を猿山灯台に向かう

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樹間から猿山灯台が見える

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何年か前の雪の猿山岬へ 山腹についた径

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途中にある逢瀬の谷からの海 娑婆を捨てての逢瀬ということか

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雪の逢瀬の谷

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ここは必ず写真を撮る 以前は4x5のフィルムで撮った

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猿山岬でのスーパーグラフィックの雄姿 
40歳になり昇進した記念に買った(笑)
リンホフを無視してこれを選んだ偏屈にプロの友人が驚いた

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能登の守護神 白亜の猿山灯台 
大正時代に200m下の海から資材を担ぎあげ建設した

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灯台から猿山の頂上を目指す 随所にある巨木

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雪割草の群生地があると言うが、その時期に来たことはない

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巨木のなかの ベンチ

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空が近くなって どこの山でも幸福感に浸れるとき

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ここも海の見える佳境 

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生きる という行為はグロテスクでもある

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この気味悪い有機体こそ猿山の主

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頂上から西へ転じ緩やかな尾根を降りる

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笑い皺のある巨木

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尾根は海へ降りてゆく

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猿山から皆月へ降りてゆく 寂しい広さは海の秘境たる所以

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こんな広い空の 明るい猿山岬は初めてだった

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船がゆく 日本海 これが冬の日本海とは。。

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七つ岩の左はるか沖合50㌔に舳倉島が見えているのを初めて見た
渡り鳥の恰好な休み場所になっている 冬の人口は30人以下という

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この明るさが却って 廃屋の哀しさをつのらせる

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元禄時代当地で生まれ 極貧ゆえ遊女として越中五箇山を経て流刑。
二十八歳の生涯を閉じたお小夜の碑 花村満月の小説「皆月」は
もしやお小夜の故事から発想されたか。。

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残照の猿山岬  赤神付近の海岸から振り返る

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関の鼻からヤセの断崖の先に義経の船隠しと言われる細い入江がある
シケの時に義経が船を退避させた伝説がある

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日没近い 静かな海

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猿山岬が遠くなる

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荒れてない日本海のイメージがなかったが、しみじみした夕暮れ
天候が日本海らしさだけではなく沿岸の風景が海の情感である

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西風に乗ってはるばると。。大陸からの浮遊物だろうか

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日没

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沿岸の人にはありふれた光景だろうが 山国生まれにはたまらない

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丘の向こうは 暮れてゆく海の色

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門前町行きのバスとすれ違う

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何の変哲もない畑の夕暮れだが、只の夕暮れではない 
ここは能登である(笑)

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漁具がある風景に惹かれる

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漁村のメインストリート

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バス停に灯る明かり 時計も椅子もある

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バスの灯りは この世のぬくもり

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どんなバス停も だれかの社会への入り口

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バス停の先に だれかのかけがえのない暮らしがある

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板壁の家がこの古い町の佳さ 沿岸地方にはよくある
北陸や西日本に多いが メリットがあるのだろうか

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暮らしのなかに海があることに憧れる

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2月21日の残照と宵の明星

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氷見付近からの日本海の向こうの劔岳
 この山を東に見る土地柄に驚く(笑)

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早月尾根をこちらに向け 池ノ谷 ついに行くことのなかった三の窓

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部下であり後輩との山行だった 彼はいつも難度の高い山を選んだ
よせと言うのに重いNikonF5を持ち上げ、へばったので私が背負った
愛すべき彼の純真と山への想い   若くして急死した彼
告別式に劔の写真があった  早月尾根を共に降り へばった。。 
あの日がすべて

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黒部川を渡る この源流を回想する

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下の廊下と言われる 黒四ダム建設のいにしえのルート
魔境ともいえる高度感の二日間 晩秋の雨に陶然と歩いた日

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黒部は折り重なる山の彼方 平の渡しは雪の中だろうか

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雪にけぶる 黒部川右岸の山なみ

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やがて高度を落とした山稜は日本海へと届き親不知の険となる
この雪は田植えのころ里に流れてくる。山が水資源を蓄えている 
里は少ないが室堂は6mあると言う 山の雪は命の水

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北アルプスが海に没するところ いにしえの北陸の難路 親不知の険

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まさにこれが北アルプスの末端 山裾が波に浸る

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そのさまを悠然と眺める明治の宣教師ウォルター、ウエストン卿
日本アルプスとの命名者ウエストンの文章はシニカルでユーモラス
どこか大英帝国から見た未開の日本を見下されている香りもある(笑)

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いにしえの難路の模様。。数年前ここを踏破したくて降りて行った
僅かな砂浜は今や浸食され全く存在せず、岸壁トラバースしかない
ザイル持っていつか。と妄想したが大波にさらわれたら歴史の再現(笑)

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親子の絆さえ断たれる難所ということか。。
伝承によれば平頼盛が出家し、都から越後へ追ってきた夫人が
波に二歳の子をさらわれ悲嘆にくれたという
旅人はこの岩の窪みに身を隠し、波が収まるのを待ったとあった。

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天嶮に時を隔て岸壁を開削、いにしえの難路を攻略した明治の新道も
今や8号線と北陸道の陰に廃道となり、物好きが散策に訪れるのみ
  一つ家に 遊女も寝たり 
           萩と月    芭蕉
親不知を超えた市振の宿で隣り合わせに聞こえる遊女たちの身の上話
芭蕉のこの句は秋の旅の宿の情感がある
 女ばかりの伊勢参りの遊女一行の足に親不知が心細い
よもや旅の路ずれを頼めまいか。。と遠慮がちに言う遊女に
断って別れたものの 無事を案ずる心持ち。。
水上勉「越後つついし親不知」と共に日本海に惹かれる由縁となった

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糸魚川で日本海を離れ雪の白馬越えと思ったら路面には皆無だった

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却って南面の仁科三湖辺りの方が多かったのはどういうことか。。

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大町に降りて松本を経て塩尻を越え、諏訪に来ると八ヶ岳が見え、
帰ってきた気分になる。まもなく豪壮な甲斐駒が迎えてくれる有難さ
そんなとき あの猿山は静まりかえっているだろうかと思う
山で海を想い 海で山を想う 山と海は 互いに引き立てあう
(F)

執筆者: kazama

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