JOURNAL SKIN
by : DIGIHOUND L.L.C.
〒658-0001
Higashinada, Kobe, Hyogo JAPAN
なぜか最近は地味な景色に惹かれ、その安心感にかけがえのなさを感ずる
数年ぶりに静岡へ行き、退職後に民家に一人住まいの友人を訪ねた。
度々行った海へ寄ってみて、その懐かしさ、この土地の慣れ親しんだ居心地の良さは 生活を支えてくれた仕事の場の安心感もあったと思う。
春野町の小高い山村の夕暮れ その静けさは比類がない
何の変哲もない それ故に完璧な(笑)風景
夜ともなれば足元も見えない漆黒の闇 灯りは必須
物音ひとつしない完璧な静寂 音楽を聴くのも勿体ない
究極の音楽は静寂であり その下地にこそ言葉も音楽も活きる
現代社会が失った夜の真髄 太古の夜が ここにはある
その真の闇 真の静寂を経て ひそやかな夜明けにうっとりする
入り組んだ低い山地の潤いが 霧の夜明けとなる
関西のような風景は 奈良の吉野山を彷彿とする
物憂い夏草のおわりに この郷の歴史を想う
単身時代に歩いて通勤経路とした 久能城址に寄った
500年を経て 古井戸などの遺構が残る
10年程前に発掘調査し 施設の整備がされた
城址はこの穏やかな里を 500年に亘り見守ってきた。5年ほどの間に、満月の夜に、また冬至の夜に、ここの夜に浸り、テントで泊まった。
歴史のしみついた土地に背を横たえ、なにか神秘的な事への不遜な興味もあった(笑)
古井戸の跡 埋めておらず覗き込むとゾッとする
主要な遺構である一ノ丸。二の丸。北の丸
それぞれ節操なく(笑)泊まった
めぐる四季に 趣深い路
いったい何度ここを通ったろうか
ここからは職場である社屋が見える 今となれば懐かしい
ここが天守の台地 眺めがよく私のアパートも見えたが藪が育ち見えなくなっていた。さすがにここで寝るのは憚られ遠慮した。買ったばかりのNikonD3で久能城址を撮った時、なぜかここ天守だけが未露光だった。メカのトラブルか、しかし仔細にみるとかすかに輪郭が見えゾッとした。天守だけが夕暮れのような露出不足だった。新宿のニコンサービスセンタで調査をしたが原因不明、結局はマウントを全部交換してくれた。ニコンとしても前例がないトラブルと不思議がっていた。
もしや天守だけが500年前の時空に戻り、たまたま夕暮れだったのか。。無機のカメラはそれを忠実に再現した。。
なんて面白おかしく推理してみた次第
結局5年間の通勤や野蛮な泊まりでは何も起きなかった。ただこじつけてみると薄暗くなってから二度ばかり、つまずいた訳でもないのにしたたか転んだ。大人になってそうそう転ぶものではないので腹が立って、くそったれと自分を罵った。ひょっとしてこれが祟りというものではないか。。とも思った。時折ふと木陰に人が(武者が)隠れたような気がしてゾッとしたり。。まあこれは思い過ごしの幻覚というものだろう
久能城址を去るにあたりバナナを食べてお別れのセレモニーとした(笑)
もうここは来ないだろう。この歳になったら総てにそう思った方がいい。
城址からいつも歩いた道を通ってみた。用水には、鯉や亀がいたっけ。
天気の良い日はのんびりして気分の良さそうなのが伝わってきて。同じ朝を迎える連帯感を感じた。あいつらまだ生きているのかなあ。。父が死んで葬儀が終わっての出社で、変わらぬ様子に慰められる思いがしたこと。。ありきたりの変哲もない日常にこそ価値があることを感じた。
ここを歩いた私の喜怒哀楽を受け止めてもらった懐かしい道に ありがとうを言ってきた
執筆者: kazama
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