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by : DIGIHOUND L.L.C.

〒658-0001
Higashinada, Kobe, Hyogo JAPAN

2020年09月10日 12時28分 | カテゴリー: 総合

静岡県春野町 普通は絶景

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なぜか最近は地味な景色に惹かれ、その安心感にかけがえのなさを感ずる

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数年ぶりに静岡へ行き、退職後に民家に一人住まいの友人を訪ねた。
度々行った海へ寄ってみて、その懐かしさ、この土地の慣れ親しんだ居心地の良さは 生活を支えてくれた仕事の場の安心感もあったと思う。

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春野町の小高い山村の夕暮れ その静けさは比類がない

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何の変哲もない それ故に完璧な(笑)風景

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夜ともなれば足元も見えない漆黒の闇 灯りは必須

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物音ひとつしない完璧な静寂 音楽を聴くのも勿体ない
究極の音楽は静寂であり その下地にこそ言葉も音楽も活きる
現代社会が失った夜の真髄 太古の夜が ここにはある
その真の闇 真の静寂を経て ひそやかな夜明けにうっとりする

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入り組んだ低い山地の潤いが 霧の夜明けとなる

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関西のような風景は 奈良の吉野山を彷彿とする

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物憂い夏草のおわりに この郷の歴史を想う

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単身時代に歩いて通勤経路とした 久能城址に寄った
500年を経て 古井戸などの遺構が残る

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10年程前に発掘調査し 施設の整備がされた

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城址はこの穏やかな里を 500年に亘り見守ってきた。5年ほどの間に、満月の夜に、また冬至の夜に、ここの夜に浸り、テントで泊まった。
歴史のしみついた土地に背を横たえ、なにか神秘的な事への不遜な興味もあった(笑)

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古井戸の跡 埋めておらず覗き込むとゾッとする

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主要な遺構である一ノ丸。二の丸。北の丸 
それぞれ節操なく(笑)泊まった

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めぐる四季に 趣深い路

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いったい何度ここを通ったろうか

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ここからは職場である社屋が見える 今となれば懐かしい

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ここが天守の台地 眺めがよく私のアパートも見えたが藪が育ち見えなくなっていた。さすがにここで寝るのは憚られ遠慮した。買ったばかりのNikonD3で久能城址を撮った時、なぜかここ天守だけが未露光だった。メカのトラブルか、しかし仔細にみるとかすかに輪郭が見えゾッとした。天守だけが夕暮れのような露出不足だった。新宿のニコンサービスセンタで調査をしたが原因不明、結局はマウントを全部交換してくれた。ニコンとしても前例がないトラブルと不思議がっていた。
もしや天守だけが500年前の時空に戻り、たまたま夕暮れだったのか。。無機のカメラはそれを忠実に再現した。。
なんて面白おかしく推理してみた次第

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結局5年間の通勤や野蛮な泊まりでは何も起きなかった。ただこじつけてみると薄暗くなってから二度ばかり、つまずいた訳でもないのにしたたか転んだ。大人になってそうそう転ぶものではないので腹が立って、くそったれと自分を罵った。ひょっとしてこれが祟りというものではないか。。とも思った。時折ふと木陰に人が(武者が)隠れたような気がしてゾッとしたり。。まあこれは思い過ごしの幻覚というものだろう

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久能城址を去るにあたりバナナを食べてお別れのセレモニーとした(笑)
もうここは来ないだろう。この歳になったら総てにそう思った方がいい。

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城址からいつも歩いた道を通ってみた。用水には、鯉や亀がいたっけ。
天気の良い日はのんびりして気分の良さそうなのが伝わってきて。同じ朝を迎える連帯感を感じた。あいつらまだ生きているのかなあ。。父が死んで葬儀が終わっての出社で、変わらぬ様子に慰められる思いがしたこと。。ありきたりの変哲もない日常にこそ価値があることを感じた。
ここを歩いた私の喜怒哀楽を受け止めてもらった懐かしい道に ありがとうを言ってきた

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執筆者: kazama

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