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2019年10月21日 22時29分 | カテゴリー: 総合

 霧の八島湿原にて 

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深まる秋の霧ヶ峰 その寂しさに為す術もなし

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 霧ヶ峰の八島湿原に「あざみの歌」の歌碑があった
なぜか好きな歌の作詩が横井弘さんであることが多い

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山には山の 愁いあり
        海には海の かなしみや

 当時18歳だった横井弘さんが八島湿原を訪れ、その若さにして、なぜこんな詩をかいたのか。。
横井弘さんは戦災で家を失い復員し、諏訪に身を寄せた時期であり、310万という戦争の犠牲者を、この湿原も周囲の山も、そして海も、日本の国土全体がそれを哀しんでいると見えたのだろう。

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 戦後生まれの私に、そういう概念はなく、登山を通じて山の憂いは解るつもりだった。
 しかし海のかなしみというのは湘南やハワイの明るい海のイメージがあって呑みこめなかった。
 やがて冬の日本海を見て、その悲壮感と重厚さに魂を奪われた。
それ以来、危険な冬山の代わりが日本海になり、安全にはなったが
、いくら通っても、荘重なその空気に、ただ呑まれるばかり。。

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 そんな海が胸のうちを占めるようになってから、山へ行くと海を想い、海では山を想うようになった。
 峻烈で穢れなき山と、対比して清濁併せ呑みこみ浄化する海。。
それは山に高貴な理想を目指す父性。海より深い母性という愛。。
そんな概念を持つに至ったルーツに、この歌の冒頭の二行があったのではないだろうか。
 この類いまれな影響を受けた歌が生まれた八島湿原は霧に包まれ、もう晩秋の空気に身も心も浸った。
名作の生まれる条件。。それを生むのは人間だが、その人間に働きかけるのはその場所であり環境である。環境に順応し、そこに美を見出すに至った人間の健気さと、その人間に生まれてよかったと思う

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執筆者: kazama

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