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2014年02月19日 20時16分 | カテゴリー: 総合

ドアをあけると...そこは雪国だった

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   これほどの豪勢な雪、、物干しまでもう少し、感覚的には目の高さだった。

歩くこともできない、かって経験した冬山のラッセルの世界だった。

まず脳裏に浮かんだのが家が窒息しないこと、、給湯器とエアコンの吸排気口を確保することだった。

   それから毎日、スコップ一丁でこの膨大な雪をどけ四日間、久しぶりに良く働いたという充実感があった。

でも考えてみれば何の事はない、ただ元に戻っただけ、文字通り「復旧」というのはそういうことだ。

   上空を見ると夕方の空を自衛隊のヘリが任務を終えて帰っていく、地元にいると手を合わせたくなるような有難さだ。日頃なんとも思わないオリーブドラブが、なんと頼もしく見えることだろう。そしてそれが災害派遣のイメージであって、戦争をイメージしないで済む平和な感覚に感謝しなければならない。

   豪雪とはいえ、雪のない地方までも物流がマヒしてしまうほど、今の世の中は高度にシステム化されている、それは反面、すべてが物流によって成り立っているという危うさでもある。   これがひとたび戦争になったらどうだろう、万が一、道路や橋、そして変電所などが破壊されたらどうだろう、それは瞬時に生活基盤が崩れ去ることがイメージされる。昭和19年ごろの停電と、今の世の停電では全く受けるダメージが違う、昔の不便な生活は、一方で自己完結性とサバイバル性につながっていたことが容易に想像できる。今のこの世の形態で戦争になったら、そして中枢を担うポイントが破壊されたら、社会が終わってしまう。

それを考えたら、国際情勢はどうあれ、もう二度とケンカはできない体質になっているのだとおもう。

執筆者: kazama

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