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2014年02月27日 17時50分 | カテゴリー: 総合

...記憶の町並み...

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   旅先で、どうということもない路地や街並を気に入ってしまうことがある。

もちろん、ひとり旅というフィルターを通しての見え方であるには違いない

これは新潟の旧い港町の通りなのだけれど、何故か気に入ってしまった。

どこが、と言われても説明できない。そういうお気に入りの所が他にもある。

そうそう行ける距離ではないから、その土地へ行ったら、回り道でも立ち寄ってみる。

しばらくぶりに見るその街並や路地はたいがい、記憶のイメージよりずっと狭い。

寸法というより空間が狭く感ずるのはなぜだろう。

   子供の頃の記憶の所に大人になってから行くと狭く見えるのは、自分の身長が伸びて視点が変わったからだと思っていた。しかし大人になっても、久しぶりに訪れた場所が、イメージより狭く見えるという現象が起こるようだ。

   居住空間だけではなく、むかし馴染んだ車なども、驚くほど小さく見える。車は実際に肥大化の一途を辿ったこともあるが、それに加えて記憶と現実の差が有るのではないだろうか。

   イメージが膨らむ、という言葉はそういう意味ではないが、実際にもイメージは大きく広くなっているようだ。なぜそうなのか解らないし、あまり話題にもならないが、脳の記憶のメカニズムに関係あるのだろうか。脳がイメージできる広さは宇宙空間にまで及び制限というものがない、しかし現実の世界はスペースに制限がある。それがイメージが肥大化する原因なのだろうか。

   でも実際の街並や路地を前にして狭く感ずるのは嫌なことではなく、むしろその場所の、かけがえのなさや愛おしさのようなものに見えてくる。

   自分の馴染んだ生活空間にはそれほど感じない生活の重みや充実感を、むしろ見知らぬ旅先で他人の生活感の中に感ずるとき、国土や社会の厚みを感ずる。

   きょうもあの街並は、いつもと変わらぬ夕げの時間を迎えていることだろう。

執筆者: kazama

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