JOURNAL SKIN
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Higashinada, Kobe, Hyogo JAPAN
このことを子供の頃はよく考えた
でも大人になってからは、どうせわかりっこないと諦めている。
この最も素朴な、切実な、また興味深い設問に応えられる人は誰もいない、これからもそうだろう。
人類が誕生してからこれまで、夥しい人が死んでいった。しかしその貴重な経験談を誰一人として聞いたことがない。
もし死後の世界があるとするなら、そこは人口が増えるいっぽうで満杯になってしまう、いや魂の世界は物質ではないからスペースが要らないのかも知れない。
私が死んでみて、もしそういう世界があったなら、子や孫に伝えたいがそれはできないのだろう。
数年前に両親が死んだが、そんなメッセージらしきものは感じたこともない。おそらく何もないのだろう。
そこには、という言い方もおかしいが永遠の無があるだけなのだと思う。 無がある、という言い回しもおかしいが、無とは把握できず言葉にできない、もしかして命ある人間だけの概念なのかも知れない。
無は当たり前の世界なのだろう、ほんのわずかばかりの生物がいるほかは、すべて無なのだと思う。
言い換えれば物質の世界であり、岩や大気や雲はそちら側のものだろう。
死んだらそちら側の世界に戻るだけでいい、そのほかに死後の世界なんてないほうがいいと思う。
この地球という惑星の物質から合成されて、いっとき命を帯びる身分になれた幸運は計り知れない。
それがまた物質に戻っていく。無から生まれてきて、また元の無の世界にもどっていくだけ、、
そのことは空や雲や山などの風景の側に戻れるという、淡い幸福感をも帯びている。
2014/3/23
執筆者: kazama
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