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2014年03月29日 07時46分 | カテゴリー: 総合

マクベスから蜘蛛の巣城へ...

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   甥の風間晋之助の舞台があり、桜の咲きはじめた渋谷まで行ってきた。

演目はシェイクスピアのマクベス、極めて暗い舞台で鬼気迫る台詞、善悪の葛藤がうごめく肉体と人間の弱さ、、、すぐ目前の、カットも訂正もない生身の真剣勝負に息苦しくなった。
 

   ふと、この戯曲が子供の時見た黒澤明の映画「蜘蛛の巣城」の骨格であることを思い出した。

小学3~4年生の時見たこの映画の奇怪さと重苦しさは、その後長らく私の脳裏に蜘蛛の巣のように残った。白骨累々たる濃霧の森のなかで妖婆と出合い、その予言に心を囚われた城主が滅んでゆくというストーリーは小学生にも解りやすかった。

   妖婆の恐ろしさと、森が動いて城に迫ってくるという滅びの終末は、シンプルで解りやすい黒澤映画の中でも随一の重苦しいものではないだろうか。

   農作業の手伝いに行く田んぼの脇に民家があり、そこに白髪の老婆が住んでいた。その容姿と荘厳な雰囲気が、蜘蛛の巣城の妖婆に似ていて怖かった。

   なぜそういう気になったのかわからないが、ある日、田んぼに一緒にいた三歳下の弟に、その老婆にむかって「蜘蛛の巣城のばばあ」と言ってこいとそそのかした。   自分でそうするならまだしも、幼くてそのことの訳も分からぬ弟にやらせるのは卑怯なことだった。   弟は面白半分にすぐ行ったが、遠巻きで小声なのが物足りない。

「もっと近くで大きな声でやれ」という私に、弟は意気込んで障子ごしに大声で叫んだ、すると中から

「なにをこく、この小僧」という恐ろしい声とともに老婆が腰を曲げて飛び出してきた。小さな弟を追う、その気迫と怖ろしさは凄く、これはえらいことになったと思った。

農作業をしていた父がその様子に気が付いた。私が弟にやらせたことを白状するしかなく、烈火のごとく怒られたのは当然だった。

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   それでこの事件は終わったのだが、お婆さんが「蜘蛛の巣城」という言葉がわかっていたならどう思ったろうか、、、腕白でもなんでもない私が犯した、罪の思い出になっている。

そしていま、その実行犯にさせられた弟の息子の晋之助が、蜘蛛の巣城のルーツとなったマクベスを演じている、、、そこになにか因縁めいたものを感じた。

   いまも私に巣食っている、蜘蛛の巣城の重苦しい残像は、まだ10歳にも満たない私が見たものだ。55年という歳月を経て、それを見たらどう見えるだろうか、そう思って通販で注文した。それは小学生の私の感受性を辿ってみることにもなるわけだ。

執筆者: kazama

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