JOURNAL SKIN
by : DIGIHOUND L.L.C.
〒658-0001
Higashinada, Kobe, Hyogo JAPAN
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緑濃い山村の風景、この中でいま居住しているのは一軒しかない。
右手にあるわりと新しい家屋は集会所だが、もはや一軒では集会も成り立たない…
私が故郷を巣立ったのは45年前だが、それは田舎が賑わいをみせていた時代だった。
団塊世代が子供時代、5月の節句にはそれを祝う旗が一面に賑やかだった。
山の上まで開墾された畑から畑仕事を手伝う同級生が手を降っていた。いまその畑地はヤブになっている。
久しぶりに訪れてみれは半数は空き家になっているというその現状に愕然とする。
都市部に住んでいると頭では解っていても風景としては実感しづらいことだと思う。
故郷に帰省するということはこういうことなのか…そう思った。
しかしこれは山梨に限ったことではなく、いまの日本社会が置かれている状況のようだ。
2040年には、いまの都市部への集中が続くという前提に立てば日本の自治体の半数が消滅するという。
山梨ではそれが60%に及び、東京に近い東部に集中している。
東京という巨大な都市に隣接した立地条件は好条件と思っていたが、逆に出て行きやすいという側面を生み、それが戻ってこないという結果を産んだ。
しかし東京は日本でダントツに出生率が低い巨大なエリアである。周囲の人口を吸収し、しかし人口の再生産をしない。それはまさに人口を消費してしまうブラックホールをイメージしてしまう。
そしてその東京の価値観が、ライフスタイルが、日本を牽引しているように感じてしまう。
子供のころ、日本は資源が少なく人口が多すぎると教わった。しかし社会の構造がかわり、人口減少が見え始め、まだ入り口なのにその寂寞たる光景に胸をしめつけられる。
良く聞いたのが「働き手がいなくなる」という言葉だった。短絡的に将来は就職難はなくなるのかと思った。しかし人口の減少は社会の活気を失い、仕事そのものの減少を生む、そのほうが先ではないだろうか。同時にそれは税収減に直結することを意味し、ここでも福祉の負担減より財源難のほうが先にきてしまうだろう。
源である出生率を向上させるのは極めて高度な課題だろう。この数字そのものが、経済や環境全般の基盤が順風であることの上に立つ、しあわせ係数とでもいえるような、最終アウトプットの数値ではないだろうか。
しかしこの諸々の現象は誰も加害者がいるわけではなく自然現象なのだと思う。こうなることを、社会を構成する私も含めた個々人が選択し、その生活嗜好であり結果なのだと思う。
どんなものをどこで買うか、、何気ない行動もその構成要素のひとつだったことだろう。
執筆者: kazama
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