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2019年08月24日 17時31分 | カテゴリー: 総合

蜂城山天神社…例大祭の夜

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   山梨の里山である738mの蜂城山からの展望。ここには菅原道真を祀り、元禄時代の建立という蜂城天神宮がある。

今は訪れる人もなく毎年8月25日の例大祭もひっそりと行われていた。

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母の生家の里宮だったから子供のころ連れて来られ、その盛況ぶりが遠い残像に遺っている。24日の夜祭り、 登り口には夜店が並び、灯明が頂上まで続く参道をお参りの人が絶えなかったという。

母が小学生だったころの祭りの夜、天神様でお参りを済ませて下ると、登ってきた親戚の子と鉢合わせし、もう一度登ったという…99歳まで生きた母はそのことを、まるで昨日のことのように話していた。

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   年一回の明かりが灯る24日の夕、頂上の天満宮には一昨年まで氏子が泊まりで詰め、参拝者への対応をしていたが、今は一時間近くかかる急な山道を登る人はいない、ここ数年は私たちだけだったようだ。

   学問の神の菅原道実が祀られている所以から、子供の書道の入選作品を飾るのがお祭りの核心になっていて、25日には頂上の天神様で表彰が行われていた。しかし昨今は子供が減って作品が集まらず、やむなく一作年から中止になった。連綿と続いてきた行事が絶え、私がその表彰式を見ることなく終わったのは残念につきる。   団塊世代の賑やかな田舎の光景を見て育った私には寂漠とした思いがするが、それはこの地域だけでなく、日本の田舎の典型的な光景になっている…。   …しかしこのことは誰が悪い訳ではない。狭い国土に人かひしめき合う、資源のない国という感覚が人口減少社会への油断を産んだのではないだろうか。

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…「こうして続けていけばいつの日か、また盛り上がる日がくる…」

氏子の人が願いを込めてそう言っていたが、参拝者の来ない山上でのお迎えはやむなく終わりとなった。

…ひっそりした山中に点る灯明は往時の賑わいを偲んでいるようだった。
しかし人の気配のなさは皮肉にも比類のない静けさと荘厳さを醸し出す。

  みこしの賑やかさをお祭りの主役とするような空間は、私にはむしろ苦手なものだった。少子化と高齢化のなか、繁栄の証として賑やかさを求め、高度成長の幻影を追い求めるのは所詮ムリがある。 祭りにはむしろこの静寂と厳かさが本来の主役でいいのではないかと思う。
繁栄とはなんだろうか、成熟社会というなら経済的指標だけではない筈だ。催し物というと賑やかしと威勢のよさの一辺倒な気がする。元来の私の好みではあるが、北欧のように個人が尊重され、落ち着いた社会に変貌できないものかと思う

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執筆者: kazama

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