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2014年11月14日 19時25分 | カテゴリー: 総合

武田家終焉の地---天目山

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   天正10年(1582)3月11日---敗走する武田勝頼は大月の岩殿城を目指した。

しかし家臣の裏切りにより笹子峠(画面奥の山)を越えられず、日川(手前の渓谷)を遡り、先祖のゆかりの寺のある天目山へ向かった。だが日川の谷も既に織田軍により封鎖され、谷あいの田野において勝頼(37)長男信勝(16)後妻桂林院(19)は自害した。

信勝は未だ元服前だったため、自害前の寸刻、原野で元服の儀を行ったという。

このため武田家の最後の当主は弱冠16歳の信勝とされている。

   私が子供のころ、この日川は三日血川(みっかち川)とも呼ばれた、勝頼父子と夫人、討ち死にした家臣たちの血が三日間、川を染めたというものだ。

3月11日という日の意味は東日本大震災以前から、山梨県人の深層のなかにあった。

執筆者: kazama

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