JOURNAL SKIN
by : DIGIHOUND L.L.C.
〒658-0001
Higashinada, Kobe, Hyogo JAPAN
蛍も終わりの6月末の夕、実家の兄貴と昔話をした帰り、蛍の居そうな川に寄ってみた。何十年ぶりの竹藪のある川…そこが幼なじみの女の子が水死した淀みであることを思い出し、ハッとした。
『文子ちゃん』という、弟と同級生でよく家に遊びにきた大人しい女の子だった。
私が小学高学年だったから文子ちゃんは7〜8歳だったろうか
…急報に掛けつけると、文子ちゃんは川の近くの友達の家に寝かされていて、大人がいっぱい集まっていた。
村のお医者さんが聴診器を外し、ダメですと言うと
『ふみこ〜』と叫んだおばあちゃん…その声は私の胸に今も突きささっている。
暗い川面を眺めた私はその日の出来事を思い出し、激情に襲われた。
山あいの山梨では、こんな淀みで子供が水遊びをしたのだ。日陰の冷たい水の中で、どんなにか苦しかったことだろうか
ホタルはもう遅いから居ないだろうと思ったが、一匹のホタルが現れた。
あれは文子ちゃんではなかったか…私はそういうことは信じないが、そうであってほしいと思った。
…ホタルが運んできてくれた、遠い初夏の、ある晴れた午前中…その哀しい日はたしかにあった。
あの日は何月何日で文子ちゃんは何歳で私は何歳のことだったのか…そことをきちんとしなければいけないと思う。
文子ちゃんの墓は私の生家と同じ墓地にある。 墓参りのさいに、文子ちゃんの墓に寄ってみた。
六十年という歳月は 墓碑銘も風化させ、判読ができなくなっていた。
あの日 文子ちゃんの名を呼んだおばあちゃん、応えぬ子を抱きしめたご両親もとおに亡くなり、その面影を知る人は僅かになった。
私の脳裏には文子ちゃんの、あどけない面影が生きている。
それを想うとき文子ちゃんはこの世に存在する。
そして、思う人がこの世にひとりも居なくなったとき。。
文子ちゃんの短い命が、この世に存在した証が宇宙から消えてしまう。
亡き人を想うのは この世に生きる 遺されたものの務めだと思う。
執筆者: kazama
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