JOURNAL SKIN
by : DIGIHOUND L.L.C.
〒658-0001
Higashinada, Kobe, Hyogo JAPAN
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私は農家の出身だから、労働とは苦役であり、食料生産の肉体労働という概念がある。
小学校の時代は農繁休業というのがあって取り入れ時期など一週間は学校が休みになり、子供の手といえど労働力として駆り出された。
私はそれが嫌だった、農耕の荷役などをする牛もいて子供以上に大切にされていた。
そんなことを書き出したらきりがなく、日本のことではないように思われるだろう。
農家で育まれた感性を持つ人は少数派で田舎者のように見なされ、都会に出てからは発言権がないことを感じていたが、それを裏ずけるような減少ぶりである。
子供時代にユートピアとはどんな世の中でしょうかと、先生に問われて考えたことがあった。
父も母も兄も、また牛も、地域全体が農作業という苦役を背負っていたから、働かなくてもいい世の中だったらいいと思った。
労働から解放された暁には遊びがある。遊んで暮らせる、、それがユートピアだろうと考えた。
私が社会人になるころ、急速な高度成長が始まり、経営者の関心事はいかに事業を拡大するかの一辺倒だった。私が入社した頃も業績は前年比35%アップ、三年で倍になるという言葉が印象的だった。
自分が従事したバイクの仕事を考えてみた。バイクという商品はすでに遊びの道具になっていて、つまり私の仕事は他人の遊びのフォローということである。
同じ会社のボート事業部のヨットやモーターボートなんか、もっと贅沢な遊びである。兄弟会社の楽器製造だってゴルフにも進出し、つまるところ遊戯という範疇だろう。山やスキーはもちろん、スポーツのすべて、映画演劇、絵画や書道、およそ文化といわれるもの全てが遊びという括りに入る。
そして衣食住といっても生命維持のための最低限以上のもの、グルメやファッション産業、快適なリビングとかなれば広義で遊びの領域ではないか。
激増した第三次産業の大部分、製造業などもかなりが遊びの道具であり、それを運ぶ輸送機関などもそれを支えている。
気が付けば遊ぶことによって、それを提供する雇用が生まれ、経済が発展し、貿易によって支えあっている。
一部後進国の食料問題といっても、先進国が穀物を食べた動物の肉を食する非効率を辞め、穀物を直接食べれば7倍の人口を養えるという
いまや遊びと贅沢をし会う、それを支える業務によって世界はなりたっている。仕事の頂点には遊びがある。それはすでにユートピアといえるのではないか。
しかしそのことに気が付かず、さらなる贅沢をもとめている、その先にどんなユートピアが描けるというのだろうか。
持っているものの価値には気が付かない、すぐ当たり前になって次の贅沢をしたくなる。何かを失ってみてはじめてそれがわかる。それを失わないために、弱者への分配を渋り、あるいはより贅沢をするために争うのが人間である。
山登りを趣味としていたが、時として苦しさに所詮は遊びであることを忘れる、重い荷物も、危険な岩場も、辛く長いテントの夜も所詮遊びである。嫌ならやめればいい。。。他のこともそれは言えるのではないか、所詮は遊びと思えば悪質なクレームもなくなるだろうし,僅かな燃費問題の競争のあげく経営の危機なんていうのもどこかおかしい。世の中は遊んで暮らしているという認識を持ったほうがいい。そうすればもうすこし寛容な世の中になれるのではないだろうか。
人類の進化は7~8世紀で生命の危機を克服し、それ以後の発展は怠慢と堕落の歴史である、というのが先進国を標的とするテロの根底の思想だという。富裕層の若者がそれに感化されているのも限界を感じた厭世観の現れである
。。。振り返ると、あの嫌いだった農繁期の残像が浮かんでくる、、、
家族全員で刈入れをする田んぼに母がお茶を運んでくる。しばしの団らんは牛にも同じであり、のどかに尻尾が動いていた。 農作業は嫌だとはいうものの役立っているという実感はあった。
父は遊び半分ではあるが、私専用の小さい背負子を作った。それを背負って父のあとについて冬の山に薪を取りにいった。
遠くの山から白い雪がちらほらと舞ってくる、親父が手際よくつけた小さな焚火で、かじかんだ手を温める。それで焼いた餅を父が「ほれ食え」とくれる、、、白くなり始めた遠くの山を眺めながら温かい餅を食う、、、まるで日本むかしばなしである
今思えばいとおしい時間であり、もしかしてあれがユートピアではなかったろうかと思う。 。。。思い出は美化される(笑)
執筆者: kazama
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