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2019年05月28日 14時30分 | カテゴリー: 総合

 ... 残心 ...

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私は武士道に心酔した方ではなく、むしろ死にざまとして戦争に利用された危険性をも感じた。
武士道を潔い死に方の美学として捉えても、合理的な兵力温存の生き残り戦略に勝てるわけがない。日本社会の底辺に今も残る男尊女卑の礎になったとも思う。
 しかし剣道で出会った「残心」という言葉に私は惹かれ、それを非常に美しく解釈していた。
打った(斬った)あと心を残す。。。つまり打ち負かした相手に心を残す、想いやる、という風に解釈したのだ。
 勝敗は時の運であり相対的なものである、いかに完璧な状態でも、より強い相手には負ける。
 勝利は時の運と捉えるが、しかし敗北は普遍的である。勝者は一人でしかなく、他のすべてがどこかで敗北する。武道もスポーツも勝利を目指して精進するが、実際に学ぶのは敗北してもめげない心であり、それは人生にもつながる。
さらに生物はどんなに鍛えても養生しても衰え、やがて死という敗北を迎える。
物理の世界にはエントロピーの法則があって、盛者必衰ともあるように、万物は崩壊という方向性しかない。
 抗争の歴史の中で負けた相手に、あすは我が身と思うのが武士の心構えだったろう。自らが打ち負かした相手に勝ち誇るのではなく、全力を尽くし敗れた相手を我が身に置き換え、敬うのである。

.............

土俵上のこと、某横綱の強さに文句はないが、負かした相手へのダメ押しは違和感があった。勝敗が決まったらあとは、全力を出し合った相手に、最大限の敬意を表すべきではないかと思った。最後までダメ押すべきというのが彼の国の流儀というのなら認めるべきだろうが。。
 負けっぷりはともかく、勝ちざまは気を付けなければいけない、ましてや奢るなかれと思う。大相撲は国技であり、日本の武道全般や芸道の美学として底辺にある「残心」があってほしい。時代とともに「残心」という概念が変わっているのかと、初めてネットを見てみた。
 心を残す、技を終えたあと心を緩めない。。それは反撃に備える。。という側面もあるのだと知った。。倒した敵に心を残し、敬意を払うなんてどこにも書いていない。であれば横綱のダメ押しも、とどめを刺すことであって、間違っているとは言えないどころか、生死を賭けた戦いの場面では正しいのだろう。
 こんな風にいつも私は甘い。しかし憧れていた残心は、倒した敵に心を残す刹那であってほしかった

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執筆者: kazama

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