JOURNAL SKIN
by : DIGIHOUND L.L.C.
〒658-0001
Higashinada, Kobe, Hyogo JAPAN
30年近く前だろうか、日本典型という写真集があって、その新たな視点に惹かれた。
たしかイギリスに住んでいた写真家が日本の風景をみて、当時の乱開発ぶりに驚く。
まるでゴミ溜めのようだと言った記憶がある。
その風景に対する無神経さは今でも同じであるが、そこはさすがの表現者、
逆にその異様さのなかに造形の妙を見いだし、8x10インチのカメラで撮った写真集だった。
宅地造成の基礎や山を削って道路建設の造成、その基礎部分の造形と自然の不調和を描いていた。
そうしていま、建設された様々のものが時代の変節により不要になり放置されている。
そのありさまが新たな「日本典型」となりつつある。
私の住むエリアの空き家率は25パーセント,四軒に一軒が空き家ということになる。
工場や社宅、社員寮なども規模が大きいだけに更に目立つ
誰がわるいというのではない、そういう社会を私たち自身も、消費活動を通じて選んだといえる。
そういう物にカメラを向けると、その被写体としての存在感の強さに驚く。
その底知れぬ沈黙はむしろ強烈になにかを主張しているようだ。
過去の繁栄が去り、忘れ去られたもの、置き去りにされたものの怨念であるかのように。。。
静寂は究極の音楽であるように(勝手にそう思っている)沈黙こそ究極の主張だと感ずる。
再開前提だったのか。。本日は休ませていただきます。と書いてある
こういう廃墟を見ていつも思うのは、その生活感の濃厚さである。
子どものぬいぐるみが天井を見ていたり、食器が散乱していたり、時には洗濯物が干してあったり。。
まるで昨日まで生活していたかのような、突然人影だけが消えたような様子である。
そんなに慌ただしく出ていかなければならなかったのだろうか。。。
それは多分、またいつか戻ってくるような前提があったのかも知れない。
しかし結局は戻れないままにそのまま歳月か経過したのではないだろうか。
始まりは歴然と華やかに、終わりはそっとひそやかに、ああ、あれが最後だったかと思うことが多い。
過ぎ去った過去の暮らしに、限りない哀惜の念を感ずる。
それを捨てた私たちが、これから何処へ行こうとしているのか
これはそのことを誰も考えてこなかった結果に思える
執筆者: kazama
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