JOURNAL SKIN
by : DIGIHOUND L.L.C.
〒658-0001
Higashinada, Kobe, Hyogo JAPAN
福祉活動の一環として地域の小学生との交流会があった。
一年生が自分たちの将来の街造りに何を求めるかを絵に描いてもらい、学年で9人しかいないから一人ずつそれを発表した。設問からして無理もないが、水族館があったらいいとか遊園地がほしいとか、子供らしい願望だった。
それを聞いていてつい思ってしまうのが、一学年が9人しかいないような状況で社会構造がどうなっていくのかということである。
私の時代はもっと田舎で育ったが団塊の世代だったから100人以上の同級生がいた。
その成長にリンクして高度成長があり、私が入社した年の前年伸長は135%。三年で倍になる前途洋々の展望を入社式で言われた。そんな時代背景で経営者には拡大のことしか頭にないような時代が続いた。
その過熱がバブル崩壊を呼びその後に必然的なデフレ傾向がずっと続いていまに至っている。
市町村合併もあり当然遊休施設が産まれ、入館者のこない立派な施設など運営の危機になっている。民間の別荘なども利用されている形跡がなく、一時はやったテニスコートなども草が生え静まりかえっている。
そんな減速傾向の社会環境のなかで、この子供たちの夢が叶えられるのだろうか。今ある様々な施設さえ存続がどうかと懸念される状況の中でそう思ってしまう。
しかしそれでも相変わらずなのが道路の拡充への事業である。
鶏が先か卵が先か、という発想で交通インフラは社会の活況を生むという側面も確かにある。しかし山梨などは却って首都圏とのアクセス向上により、企業の流出や集約が進んだ。
東京という巨大な経済圏の、いってみればブラックホールに呑みこまれたと言える。
集中と過疎という二極分化が拡大しているが、交通インフラはそれをさらに加速するだろう。
それを善しとするか否とするかは国民一人一人の選択である。
しばらく訪れないと交通量の少ない真新しいバイパスができて、その快適さの恩恵をうけて走る。
高速道路を走らなくても済むような道路環境になってきた。その代償としての素通り感のような虚しさはあるが。。。
さらにバイパスなどではなくても曲がった箇所はトンネルを掘って直線に、旧い橋の脇に巨大な橋を架けて、たかだか数分の近道のために大工事をいとわない。
おそらくそれは道路の必要性というより道路建設の事業が欲しいのではないか。
それは地域経済を潤し雇用を産むだろうし、また走ってみて快適ではあるから誰も文句はいわない。いまの大人にとってはいいことずくめではある。
しかし形あるものは風化し、崩壊する。まして長期的スパンでは南アルプスが年間4ミリの上昇というように。地殻さえ動いていて対応が必要になる。
いま日本全国で建設されている道路や橋などの維持管理の莫大な費用を数十年後に同級生が9人などというこの子たち世代が支え切れるのだろうか。
そのことの危惧をしかし子供たちに言うことはできない。大人でさえ未解決な、先の見えなさが今の社会にはある。そのことを政治家を含め誰か真剣に考えているだろうか。真剣に考えればそれは今を否定することになり、暗黙のうちにタブーとしての共通認識のような気がする。
そもそも資本主義社会の成り立ちが人間の欲望を原動力としている。この上さらに限りない欲望を満たしていく社会に未来はあるのだろうか。
そしてその社会の行く末を政治家に託していいのだろうか。任してきたその結果が今の社会である。
政治家という人たちに将来を考えろというのはその選挙制度からして無理なのかもしれない
であればこれからの人間社会のありようを利権から離れ、学者やら哲学者、宗教家などの知見が政治に参画する仕組みができないだろうか。
次世代のことを考えるのは大人の責任であり、そうしないと子や孫の未来はない。いまのままでは将来にツケを回しているように感ずる。
執筆者: kazama
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