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2018年01月08日 22時31分 | カテゴリー: 総合

折れたクレヨン

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もう60年も昔の日のことを鮮明に覚えている自分に驚くのだけれど。
私の記憶の中でかなり初期のものなのに強い印象があるのは、このことで傷ついたからではないだろうか。
と言っても加害者がいるわけではなく、幼心に自分という人間の卑劣さを知ったからではないかと思う。
 それは私がお寺の幼稚園に、三つ下の弟と共に通っていた頃の話である。
坂道を下って田んぼを横切り、子供の足なら40分近く掛かる幼稚園に行くのは、そこで行われるお遊戯などがたまらなく嫌で、私に早々と訪れた試練の日々だった。
暗い本堂が教室になっていて、お絵描きの時間になった。先生に(まだ保母さんという呼称はなかった)
「さあ、クレヨンを用意して」 と言われ、後ろに掛けてあるカバンの中にあるのを持ってこようとした。それは姉たちのお下がりで、厚手の四角い箱に減って短くなったり折れたのが無造作に入り混じっている。
他の人たちのを見ると、みんな一様に、ちゃんとした箱に順序正しく並んだ正式の(笑)ものである。
「あのクレヨンを出すわけにはいかない」 それは私の家が貧乏であることを暗示すことになる。。そう思った私は取りに行くのをやめた。
兄の私が取りにいかないのを不審に思った弟は健気に自分で取りに行こうとした。
「待て、あれは出すな」 と私は弟を制止した。
弟はあのとき、そのわけを察したろうか。想えば三歳代だったろうから兄に従っただけではなかったか。。
私は先生に、「忘れました」 といって、二人はみんなのお絵描きを黙って見学した。
 そのときの惨めさと嘘を言った罪悪感。。それは重く微妙な空気を察知し、私に従った弟が何もすることなく座っていた姿に集約される。。こう書いて私は胸が詰まる。 出来ることならポツンと座っていたあの弟に駆け寄り、詫びたい。
その罪の意識は私の嘘が貧乏を隠そうとする虚栄心に根差しているからだ。
想えば6歳ぐらいであの虚栄心は何故だろうか。たぶんそれは、子供にまで沁みとおる貧乏ということの負の力の強さではないか。もしこの嘘に、貧乏という背景がなければもっと単純なもので、惨めさと罪の意識も軽くなったろう。
親にしてみれば貧乏で子供に惨めな思いをさせるほど辛いことはないだろう。 だからこのことを親の生前に書くことはできなかった。
私の嘘に、まだいたいけな弟を巻き込み、兄弟で疎外感に浸った、今となれば愛おしいあの時間を、わたしは終世忘れることはない。

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執筆者: kazama

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