JOURNAL SKIN
by : DIGIHOUND L.L.C.
〒658-0001
Higashinada, Kobe, Hyogo JAPAN
旧いクロームレンズのゾナー250mmをヤフオクに出そうとチェックした。レンズシャッターをチャージしてボディに付けるとき,微妙に手順が曖昧だった。そこがハッセルの鬼門,にっちもさっちも行かなくなった。
この所のお気に入りはSonyα7で、その画質はさすがと思った。それとiPhoneの絵造りの上手さ、さすが画像に長けた経験の賜物と感じていた。
しかしこのところ先輩から貰った旧い2台のリコーGX200を使うにつれ、今時のカメラにない、地味なナチュラルさに感化され惹かれていった。ことに茫洋とした朝夕の風情や雨の情感など、このカメラでないと描けないとさえ思えてきた。日々進化しているデジタル器材なのにおかしなことだ。このカメラの絵を見慣れたらSonyやiPhoneの絵がいかにも「ケバイ」ものに見える。
高々900万画素の掌サイズのカメラにこれほどの期待感を持つとは。。フィルム時代には鮮鋭さを求め中版カメラが中心.4x5から8x10インチの大型カメラにまでエスカレートした私が至ったこの境地はなんだろうか。。
(正方形のフォーマットは900万画素 シャドウのみ立ち上げ処理)
モノクロはフィルムで撮るという観念があるが、古いリコーGX200の地味な写りの好ましさから、このカメラならどう写るかと思った。デジタルは後処理でモノクロ変換ができるが、はなからモノクロモードで撮ってみた。ファインダーからモノクロ表示されるのは大きなメリットだと思う。
これまでモノクロ表現に凝ったことは無かったが当時は安価であり自家処理が出来たことは大きかった。
しかしこのデジタル時代に敢えてモノクロにする理由は何だろうか。
プロミナーに萌える
美ヶ原で見かけたKOWA(コーワ)20x120(20倍,口径120mm)の観光双眼鏡。
私はコーワというブランドに一目置いている。コーワシックスという6x6の一眼レフにはハッセルと同じぐらいの魅力があった。あとコーワSWという異彩を放った広角専用機を欲しかった。
プロミナーというレンズ銘がまた別格を感じさせた。プロミナーとは卓越した、という意味らしいが太陽のプロミネンス(紅炎)と関係あるのだろうか。
この古びた重厚な風格の双眼鏡は、ここに設置され何年になるのだろう。100円で2分ぐらいだが、これは覗かずにはいられなかった。
デジタルの時代になって久しいけれど、夕暮れのトーンが豊富に出て,しかもハイライトとシャドーを個別にイジれることに魅了された。
フィルムの良さは濃厚な発色と骨太感みたいなものがあるが、それはトーンが出ていないことの裏返しだと思う
( ファインダーは別売で4万以上のEVFとツァイスの光学式。こちらは5万以上だが共にすばらしい。このフードは金属製で一万なにがし、やたら高い。ついているファインダーは大判用の流用品 )
通勤経路のカメラ屋さんで見せられ、当初は興味なかったがこれがフルサイズであることに驚いた。いったい誰がこんなカメラを欲しがるんだろう、大手メーカーが妙な商品企画をしたもんだと思ったが帰宅してから詳細を調べたらその異端ぶりに次第に引き込まれた。
友人がトライXの4x5モノクロフィルムを送ってくれた。
シノゴ(4インチX5インチのフィルムサイズ)なんて最近撮ってなくてベルビアのボジが8枚残っていてそれを撮ったらおしまいと思っていた。
そこへなんと50枚ロットの,おまけにモノクロときたから要らないと思った。
私は人に影響を受ける方ではなく、とくに恩人とかいう人も思い浮かばない。でもなぜか私より25歳も年上だった森永さんには死後も別格の思慕が湧いてくる。
山や辺鄙なところに撮影にいったりした過去の道中のなかで、いまでもそこを通るとき,どんな話をしたとか、そこでラジオから流れていた音楽を思い出したりする。
森永さんをひと言で表現すると「無味無臭」といった風で、人間のアクというものが全くなかった。
私に向けて教訓めいたことを聞いたことはなく。若い私の人生観への影響を避けているように感じた。
それが何故なのか、どこからくるのか分からなかったが、多くの同僚を失った旧海軍時代に遠因があったのだろうか。
その飄々とした淡白さは生活感のなさを生み、ご自宅で普段着でいても類例のないダンディーさがあった。
とくに印象的な言葉があったわけでもなく、行動に憧れたわけでもない、森永さんからにじみ出る、その透明感にあこがれた。
ビルなどを広角レンズで撮れば大概上がすぼまって(細くなって)しまう。
カメラに仰角をつけるので歪曲でそうなる。対策として超広角レンズでカメラを水平に保ち、縦位置で撮り、上だけ使い下はトリミングして捨てる。そうすることによって垂直線が出た写真になる訳です。
アオリというのは蛇腹のついた大型カメラなどで光軸が自由に変えられる機能。それを利用して垂直を出した訳です。
今のデジタルの高画質、ましてフルサイズなどの余裕があればトリミングにも強い。
昔は暗室でやったことが今はスマホで自由にできる。便利な時代になりました
シックな色調と鮮鋭な画質…バッテリーのバカ喰いと動きに対応できない欠点はあるが…
個性があり日本製らしからぬカメラ
iphone6で撮影…今やカメラの仇敵 iPhone 皮肉にも他のカメラを実に良く写す(笑)
これが私のファーストカメラです。実はニコマートを買うつもりでしたが…
まてよ山の写真ならネガが大きい方がいいだろうと、当時6x6のブロニカが流行ってましたがそれより大きな6x9にしました。
120フィルムで8枚撮り、それを少ないとも思わず一枚入魂で(笑)
…フジノンレンズは優秀でその後買ったマミヤRB67やペンタックス67より写りが良かった気がします。
ファインダーは視差があってあてにならず、巻き上げはダブルアクション、コマ間隔が時には重なったりと、
欠点だらけのカメラですが、この豪放な面構えとレンズの素晴らしさで許せた。個性は欠点をも補うものなんですね
久々に単焦点レンズ、超広角の へリアー10mmを買いました。MFのヘリコイドや絞りリングがあり、思った以上にズッシリした質感。α7RⅡのコンパクトな精密感とマッチして気に入りました。
表題の理由はiPhoneとα7RⅡを買ったことによる。
iPhoneはともかくα7のコンパクトさと精密感には悩殺された。デジタルカメラになって手触りを愉しめる初めてのカメラが出現した感がある。
広い視野率のEVFはその性質上、露出補正等の設定した撮影画像そのものが見えていると言ってよく、撮影後に切り替わっても分からない程だ。結果として背面液晶は見なくなった。デジタル一眼の撮影後に結果を背面液晶で見るという、いささか潔しとしない動作から解放された。このことは大きく、とてもスッキリする。出来の良いファインダーで撮影画像を確認できれば太陽光に晒された液晶には用がない。
また無音無振動の電子シャッターとハイブリットのブレ止めと相まって、これまでブレたことがない。
私にとってハッセルSWCの穴埋めに足るカメラと出会えた満足感があり、ひとえに身代わりになったSwcのおかげである。
この先ニコンをどういう場面で使うだろうか…今のところシーンが浮かばない。
D3を私にとっての最後のカメラと意気込んで買ったのだか、その後もD800Eとか節操がなかった。しかしD3の操作感はさすがに重厚なものがあり、お気に入りの14〜24/F2,8と共に最後まで手放さないだろう。
実を言うとα7RⅡのフルスペックの高画質はまだ試していない、我ながら画質へのニーズは下がったが18メガの設定でも充分な画質がある。このカメラは評判の画質だけでなくシャッターやファインダーなどの基本部分の満足感がある。
…しかし最後に、これだけはため息が出るような、電池のバカ食い…この一点だけで商品として超一流になり切れないと思う。まことに惜しいとしか言いようがない