JOURNAL SKIN
by : DIGIHOUND L.L.C.
〒658-0001
Higashinada, Kobe, Hyogo JAPAN
(正方形のフォーマットは900万画素 シャドウのみ立ち上げ処理)
モノクロはフィルムで撮るという観念があるが、古いリコーGX200の地味な写りの好ましさから、このカメラならどう写るかと思った。デジタルは後処理でモノクロ変換ができるが、はなからモノクロモードで撮ってみた。ファインダーからモノクロ表示されるのは大きなメリットだと思う。
これまでモノクロ表現に凝ったことは無かったが当時は安価であり自家処理が出来たことは大きかった。
しかしこのデジタル時代に敢えてモノクロにする理由は何だろうか。強いて言えば実際のカラーの世界から色を引くことによって想像の余地が生まれ、ちょっと文学的な気もするが。。でも自分がモノクロ写真から色を想像しているかというと即物的にモノクロ写真として見ている気がする。モノクロ写真の良さとはなんだろうか。
先輩から2台貰ったGX200 一台をモノクロ専用と思ったが設定変更は簡単 キャップはオプションの自動開閉
(未加工でトーンが出る)
朝日の斜光 カラーよりトーンが美しく見えるのは何故だろうか
夕日と畑のディティールをシャドウのみ立ち上げによって両立
午後おそく 今日の名残りの木漏れ日
火の見があると撮る
晴れた日はシャドウ部が出にくいがフィルムよりはマシ
清里の帰り 冬木立に午後の斜光 カラーも良いかも
山村の夕暮れ
小学校の下校を告げる女生徒のアナウンスが山にこだまする
このふるさとの長い歴史 山の残照の今日の終わり 尊い日々のくらし
ヘッドライトの灯ともし頃 夕映えの空と茜雲と路面のディティールを暗部のみ立ち上げにより両立する。フィルムだと全画面の調整になるため、こういう被写体はどちらかが犠牲になる。明部がトビやすい反面、暗部の描写に強いデジタルの特性を生かし、アンダー気味の露出で空を生かし、暗く潰れた暗部のみ明度を上げる。別個に調整できるのはデジタルならではの強みであり、夕景や朝の風景に強いと言える
但しダイナミックさより、ありのままを好む私の価値観かも知れない
mirror view
蜂城山の参道にある倒木
陰惨なモンスターをイメージし つい撮らされる
こんな奇怪さと形の違和感などはモノクロがいい気がする
頂上にある巨木 移動できない植物の宿命
怨念じみた 生きる執念
倒された根になお残る 生への未練 歳月の重み
植物の光合成による酸素で生き
その木部を利用して建造物とする その恩恵
狛犬が護る 元禄建立の蜂城天満宮
8/25の例大祭には小中生の書道展が行われていたが
少子化により存続できなくなり やむなく中止
ふるさと 信ずる力 児童の文字が沁みる
冬の斜光は その奥深くまで いにしえからの光を届ける
その長い影
天満宮の裏手に出る 武田以前の山城の護り 土塁の遺構がある
土塁の東端に立ち 奥山の京戸山を遥拝 ご真言を捧げ山を降りる
執筆者: kazama
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