JOURNAL SKIN
by : DIGIHOUND L.L.C.
〒658-0001
Higashinada, Kobe, Hyogo JAPAN
ハッセルブラッドSWCは私が買ったカメラのなかで最も高価だった。
予期せぬ原稿料が入ったのでこの際と思って買った。当時は並行モノと正規品があって価格も違ったが私のものは正規品だった。SWCの新品を買うというのは、そうそうない高揚する買い物だった。
撮った画像は申し分なく、超広角の歪みも殆ど無く、一見すると標準レンズで撮ったような自然さがあった。昔は66という正方形のフォーマットが好きではなかったのでA16のフィルムバックで645サイズで撮った。
SWCは私の手元に20年以上もあったろうか。やがてデジタルの時代になり、出番はかなり減ってきた。原稿料で買った記念すべきカメラだからと思ったが、欲しい人の手に渡ったほうが活きるだろうと、手放すことにした。
(Nikon D800E)
NikonのデジタルカメラはD3の1200万画素という実質充分な画質が気に入っていた。そこへなんと三倍の3600万画素、おまけにローパスレスといういかにも鮮鋭な画像が撮れそうなD800Eが登場した。フィルム時代は120フイルムや4x5中心だった私にとって「鮮鋭」という言葉は殺し文句である。これは買うしかないと思い、私にしては珍しく予約して、たしか4月25日という発売日に手許に来た。
D3の質感や作動音になれた感覚には、ごく普通のカメラという感じだったが撮った画像はさすがだった。PCで拡大してみるとデティールがいくらでも出てきた。これはすごいと思ったが、トリミング耐性があるのでいい加減なフレーミングでも何とかなるという悪い癖がつきそうだった。
しかし画質への驚きは最初だけで、A3ノビのプリントはD3の1200万画素、欲張っても1600万画素あれば充分である。ましてSNSへの投稿なら論外な過剰データである。残るのはPCの重さというイライラ感、とくにRAWで撮ったら後で後悔する程だった、もちろんそれなりのPCであればいいのだろうが。
それからはデータのクオリティを落とし、ずっと1600万画素で使っていた。つまり私にはD800Eは必要なかったということだ。でもD3より軽いのとダブルスロットの片方がSDカードでなにかと重宝だった。D3はCFのダブルでプロっぽく信頼性はあるが簡便さにはつい負けてしまった。
(Sony7RⅡ)
販売委託したハッセルは中々売れなかった。まあそれでもいい、再びSWCが(手に入る)みたいな気分になり、それはそれで嬉しいような気になった。
売れた、という情報が入ったときは複雑な心境になった。しかしいまどきフィルムカメラに40万という高額を投資する心意気はほんとに尊敬する。
私の至宝だったハッセルSWCはきっと気に入られることだろう、そう思ってお別れすることにした。
そうなればなったで、天下のSWCの身代わりとして失礼のないものにしておきたいのが人情である。部長が移動になり、その後任に主任が着任したのでは失礼と言うものだろう。物欲を正当化するそんな屁理屈はいくらでもたつ。以前もペンタ67のシステムをハッセル500CMに、マミヤRB67をタチハラ8x10に買い換えたことがあって、それぞれ後に遺るトレードだった。
最近になって、フルサイズで1200万画素に抑え、超高感度を狙ったSonyα7Sを買っていたので。その対極にある4200万画素の最高画質、α7RⅡならSWCの後継として失礼がないのではないかと思った。
D800Eで高画質はもういらないといいながら、この選択はひとえにSWCとの釣り合いということでしかない。
しかしこのカメラはバカ高くSWCの売却価格では届かない、それでD800Eをも手放し補填することにした。超高画素モデルが2台も要らないのと、なぜかD800Eにはそれほどの未練がなかった。デジタルカメラというのはそういうものだろうか。
ミラーレスのカメラがどういうものか解っているつもりだったが、手にしての実感は、たったこれだけのものか---というものだった。
天下のSWCとニコンの最高画質の一眼レフを供出して、この小さな、ぱっと見10万以下ぐらいにしかみえないカメラとのトレード---しかもそれがライカとかローライとかならともかく。電気製品のSonyであることに我ながら驚く。
しかもこのカメラたるや、最下位モデルのα7や実質コスパモデルの7Ⅱと見分けがつかない、これだけのバカ高いカメラをそれらしく見せる工夫はまったくない、普通ならゴールドのラインを入れてみるとか、金具をプラチナにするとか。せめてストラップに誇らしくRⅡと入れてみるとか---まったくない。もちっと何とかせいやと思った。私はハッタリかましたような演出は嫌う、どっかのクルマのうしろにある、メダリストとかアスリートとかいうバッジをみると、全身がこそばゆくなる。しかしいざ対価を払ってみると、我ながらこの言い草である。他人事と我が身のことでは、信条まで変わるということか---
しかしこれは手に入れた直後の実感であって、触ってみてのコンパクトなのに、しかしずっしりした重さ、各部クリック感のしっとりした質感で払拭した。ちょうどライカMシリーズの容積と重量比ぐらいである。手触りの心地よさはバカでかい一眼レフが過去のものに思えてきた。その質感にはツアイスレンズの重厚な作りが多分に寄与している。ズームのしっとりした動きとトルク感はニコンのレンズにも勝るものだ。そういう質感を通してみると、前述の高価に見せる造作のまったくないことが、むしろ潔さとして、また哲学として伝わってくる。
(XGA 有機ELファインダー)
使ってみて驚いたのは、久々にフィルム一眼時代のファインダーの広さを味わった。おそらく他には類がないだろう。そしてそれがAPS-Cサイズに切り替えても同じというメリットがEVFにはある。
私はフルサイズへのこだわりはそれほどなく、A3ノビぐらいならAPS-Cで充分と思っている。ただ広角好きなのと、昔からのレンズと画角の感覚がそのまま生きること、また切り替えられることによる画角の柔軟性がフルサイズの強み、つまり大は小を兼ねるということである。
シャッターは50万回の耐久力と無類の低振動とあるが、揶揄される電気製品であることのメリットをここで使わない手はない、さっさと電子シャッターにセットして完全な無音無振動で撮っている。メカの動かない無振動に加え、ボディ側5軸と合わせレンズ側3方向シフトブレ止めという、ブレに関してはこれ以上ない万全な体制を採っている。有機EVFファインダーの広々とした見え味はかなりのもので、露出の補正値がそのまま画像として見え、殆ど撮影画像イコールの画像である、撮影直後はスッピンの画像が半秒ほど現れ、直後にHDRや設定画質へのカメラ側の処理プロセスが見えるので、ボディ側の仕事ぶりがよく解る。したがってデジタルカメラの基本動作のような撮影画像を液晶で見る必要がない。結局はバリアングル時以外は液晶に用がなくなった。
撮影して何よりいいのが静かなるカメラということである、なにせなにも音もせず手応えがない。今までのようにいちいちガチャコン言わないのが何よりいい。
この点では昔からアンチ一眼レフだった。ひとえにファインダー画像のために精密なミラーボックスとシャッターの低振動と耐久性、それと高視野率を確保し、撮影画像との厳密な整合にどれだけのコストをかけたことか、、そしてそれが、極論すれば撮影画像には関係なく、構図を決定するファインダーのためでしかないことに不合理を感じていた。それもあって物理学の原理原則みたいな4x5が好きという訳だ。
(背面照射COMSセンサーを活かせるか)
一ヶ月ほど使ってみて、このサイズと予想外の精密感になれたら、当初は素っ気ないデザインがメカっぽくて精悍なものに思えてきた。そんな感覚で一眼レフを持ってみれば、とても太っちょで、あたかも昔のペンタ67のように感ずる。ニコンでの手触りはFの硬質な感触が好きだった、気にいるとαがその手触りに似ているように思えてきた。
とまあここまでいいことずくめなのだが、最後に決定的な、とても重大な欠点がある。それは電池のバカ食いということで、やはり電気製品だったかということを痛感する。それこそみるみる減っていき、もう50%を切ると気が気ではない。ガンガン撮ったら多分一日2個どころか3個の予備電池が必要ではないか---スペアで事足りるではないかと言っても、そもそも電池残量を気にしながら撮影するのは落ち着かない。最大5泊ぐらいのテント山行をしたことがあるが、いったい電池は20個ぐらい(笑)必要だろうか。これだけはファインダー画像も電気で描いていることの弱みで、ミラーとプリズムの功績には敵わない。電池の消費量ということのみで、しかしこれは大減点というしかない。総合得点一気に減点で70点ぐらいだろうか。他のことが素晴らしいのでほんとに惜しいと思うが、それほど電池残量を気にしながらの撮影はスッキリしない。
しかしここに来てSonyのカメラを買うとは思わなかった。それも高感度と高画素機の両極端の2台で賄うつもりだから、一応Nikonの出番はなくなる、Fの時代からの付き合いなのでそれでいいのかとも思うがプロでもないし失敗も怖くない。
α7系はプロのカメラではないと思う、まだまだ安定した評価はされてなく未知数である。しかしアマチュアが遊べるカメラとしては筆頭ではないだろうか。いずれマウントアダプターで手持ちの旧いニッコールでも付けてみようと思う。
肝心の画質だが、まだフルスペックで撮ってはいない、醒めているわけではないが、現環境では持て余すだろう。きっとPCでピクセル等倍にしたら目を見張るだろう、しかしそのことに実質的な意味があるかというと、私にはないと思う。A3ノビ以上に拡大することは考えられないからだ。フルスペックで撮ったらPCのイライラが想像つく。
私には画素数よりフルサイズ初の背面照射センサーでの豊富なトーンには期待したい。RⅡに期待したのはその要素と、最大と言われるファインダーの広さだった。究極の画質が要らないならRⅡは要らない。たしかに7Ⅱのほうがはるかに賢い選択だと思うけれど、でもそこは習性として4x5のような究極画質のマシンを「持っていたい」という心理は否めない、それと何よりも、ハッセルSWCのおかげで手に入れた、というに相応しい選択をしたかったことにある。
執筆者: kazama
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