JOURNAL SKIN
by : DIGIHOUND L.L.C.
〒658-0001
Higashinada, Kobe, Hyogo JAPAN
私は人に影響を受ける方ではなく、とくに恩人とかいう人も思い浮かばない。でもなぜか私より25歳も年上だった森永さんには死後も別格の思慕が湧いてくる。
山や辺鄙なところに撮影にいったりした過去の道中のなかで、いまでもそこを通るとき,どんな話をしたとか、そこでラジオから流れていた音楽を思い出したりする。
森永さんをひと言で表現すると「無味無臭」といった風で、人間のアクというものが全くなかった。
私に向けて教訓めいたことを聞いたことはなく。若い私の人生観への影響を避けているように感じた。
それが何故なのか、どこからくるのか分からなかったが、多くの同僚を失った旧海軍時代に遠因があったのだろうか。
その飄々とした淡白さは生活感のなさを生み、ご自宅で普段着でいても類例のないダンディーさがあった。
とくに印象的な言葉があったわけでもなく、行動に憧れたわけでもない、森永さんからにじみ出る、その透明感にあこがれた。
( 右端が森永さん 三窪高原の 晴れた秋の日 )
そのことは解るきもするが、でもきっと裏側の魅力として奥様も感じられていたのではないかと思う。
その奥様も亡くなられ、森永さんの気配がいっそうこの世から遠ざかる寂しさを噛みしめていたが、娘さんの意向により遺品のカメラを送っていただくことになった。
ご自宅で触りながら話した思い出のカメラが、いまこうして私の部屋にある
それは森永さんの気配であり、懐かしい時間と、その空気感である。モノが語ることがあるのだなと思う。
トヨフィールド4x5 金属製暗箱といった造りがすばらしい
NikonF4 このカメラを手にした時、同じ手触りを感じていただろうと、ぐっときた。
ネガカラーを入れて写してみる、ブレそうもないシャッターの感触。さすがニコン一桁
トプコンREスーパー。このデザインが好きだった。初めての解放測光機で高級機の範疇だった。なぜかシネマスコープ風のマスクが入っていた。エキザクタマウントはそうそうないが新宿で探せばあるはずである。
フジノンSW150mmのレンズはペンタ67にも兼用できるよう改造してあった
懐かしいコムラーレンズ 望遠系でかなり使われていた
写りはコントラストもあり充分である
執筆者: kazama
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