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2018年05月05日 22時55分 | カテゴリー: 飛行機

同窓会の問題児

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( たぶん20代か 久々に描いたF8 なんと折ってあった )

中学の同窓会が久しぶりにあった。

子供の頃のまま下の名で「としおちゃん」と言われることに沁みる思いがする。そのような空間は社会の中でここしかなく、そのことのかけがえのなさを感ずる。

皆が一様に私のことを極めて内向的で絵がうまかったという印象を語る。

その私が普通のサラリーマンになったことを、意外なこととして、また残念な事として言う。自分としては、そんな私がよくぞ普通にやってこれたものだと思う。それくらい危機感はあった。

この場にいる私は子供のままの、素の私であって、社会へ出ての、言わば演技者としての私ではない。

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 絵を描くことはバイクが好きになったりで中学時代で止めてしまったから社会人で私を絵と関連ずける人はまったくいない。

なぜ描くことを止めてしまったのか・・皆からそう言われるがよくわからない。先生から県の大会に出せとか言われるのが負担でわざと遠ざかったことはある。

私には競い合うという覇気はまったくなく、運動会のかけっこはいつもビリだった。

そんな自分へ適合した態度が「勝負」という土俵には極力上がらないようにしたことだ。勝ち負けは相対的なものであり、自分が完璧でもそれ以上の人には負ける。。

息子が剣道を12年続け、その試合を数知れず見てきた。ガッツポーズで勝利を喜んだ生徒が次の試合で敗北の涙をながしている。トーナメントの勝者は一人でありそれ以外はどこかで必ず負ける。スポーツとはそのことを、負けてもへこたれないことを学ぶのが真髄ではないかと思った。

敗北こそ普遍的なものである、全ての人が「死」という敗北を避けられないではないか(笑)

そんなふうに私の価値観は固まっていき、「悔しさをバネにする」といったモチベーションを持ち合わせていない、そうして笛吹けど踊らずといった始末の悪い大人として仕上がっていった。

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 終わり間近に、中学校から一緒で秀才だった女性に、「私はあなたの絵をみて敵わないと思い、しばらく描くのを辞めた」と言われた、その絵が淡い色で描いてあったというのは今の私が淡白な絵を好むことに通ずる。彼女からそう言われたのは嬉しかったが、そのころ私が描いた水彩画は一枚も残っていない。几帳面な父が保存していた小学校低学年の惨憺たる通信簿があったのに不思議なことだ。

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ふつう機首からかくので左向きのモチーフが書きやすいが余程気に入ったアングルだったか。。。

ここに掲げた絵は雑誌の挿絵のためで、これ以外に描いたものは皆無と言える。

人生でいちばん幸せなことは子供のころの夢をかなえることではないだろうか。先入観もまだない純真だったころに好きだったことがいちばん大切なことに思える。私の中で「あいつ」と思う大人しい小学生。「あいつ」の夢をかなえてやるのは私しかいない。それが私の人生のいちばん大切なこと、価値あることだと思う。

夢は漫画家になることだった。あのまま絵を描き続けていればどうにかなったろうか。。という思いはいつもあった。人生のなかでやり残し感を問われればやはりそのことになる。写真は絵の代用だった気がして、わたしのなかで本命になりきれないものだった。

絵を描くのは気合が入り、とくに最初の線を引くのはその後の絵の成り行きを左右するから緊張する。気に入ったラインが引けた時はこの線を決して無駄にはできないぞと思う。

大切なのはその絵の辞め時である。欲を出し深入りするとその修正やらでごちゃごちゃ濃い絵になる。辞め時を心得たすっきりした端正な絵には、書き手の潔さと才能を感ずる。そんな端正な絵を描ける人はたぶん、修練ではなく生来の研ぎ澄まされた線を持っているのではないか。

 想うのは、絵に限らず何の分野でも始めることより到達点を何処にするかという辞め時が難しい。それがないままに欲が出たり他人が介入したり、結果として煩雑で暑苦しい世情が産みだされる(笑)

こういう私がしかし、また絵を描き始めるかというと、たぶんそんな時間はないままで終わる気がする。

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ビーチクラフト これも折れていたから捨てる気だったか。。

執筆者: kazama

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