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Higashinada, Kobe, Hyogo JAPAN

2019年09月06日 22時20分 | カテゴリー: 飛行機

伊丹からの飛行

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 ( 伊丹へ降りる )

 このワードが今回の目的になったが、二次的なものであって、きっかけは配偶者が飛行機へ乗ったことがない、というのが第一の動機だった。
伊丹空港は関西へ就職した息子の居住地にあって、離れて暮らす息子の棲息域を空から俯瞰してみたいという、神の目(笑)というか親心でもあった。
 長野の松本と伊丹を八月限定で一日一便があった。南北アルプスと中央アルプスを見下ろしてのフライトはそそられる。
 バイトを三日休んで朝の松本空港に着くと飛行機のモニュメントすらない。
到着したら燃料補給して搭乗し出発という手順だから駐機する暇もない実態である。
伊丹から0840で松本着0930便が伊丹行き1010となり、到着を待つ。
松本空港は(RW18/36)真南/真北の滑走路。南風だから北側の長野方面から着陸してきた。
機体は(Embraer E-Jet)エンブラエル170。航空機産業も集約とグローバル化が進み、なんとブラジル製。主翼に川重が関わってるらしい。
 タンクローリーから給油して搭乗し、バスぐらいの案外早いタキシングでRW18北端に着きブレーキを離す。GEエンジンのERJ170の案外な加速に驚く。南へ離陸してそのまま木曽谷上空を南下と思ったら何故かレフトターンし高度を取る。??と思ったらライトターンして南下を始めた。空域の制約があるのか、何故そういう複雑な上昇径路を辿るのだろうか。

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槍 穂高連峰 何のことはない(笑)

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御嶽山の東上空を通過する

 もう高度は3000を超えたか右手に槍穂高連峰が見えるが見下ろすと何の威厳もない。
左の車窓?から仙丈、北岳から白根三山。塩見荒川赤石から聖まで見えるが、やはり威厳がなくどうということもない。日本有数の山岳地帯の、この見え方には失望した。
重荷を背負い、はるかに見上げるからこその威厳なのだろう。ものごとの見え方は立場により違う
複雑な上昇径路の訳を友人のパイロットに聞いたら、航空法により山越えの場合2000フィートの高度差を取らないといけない。松本空港は周囲を高山に囲まれているため、空港付近で高度を取る必要がある。それ故の上昇旋回だった訳だ。
 空港は657mという高地故の揚力低下により一割程滑走距離が延びる、またILS(計器誘導装置)が設置できず、難しい空港の位置ずけらしい。
 巡行はうす曇りという状態だったが、タービュランスというのか気流がわるく結構な揺れだった。ふと地についてない不安感を思うが、墜落するとなればじたばたしようもなく、案外悟れそうに思ったw。

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 水平飛行はものの10分ほどで、スロットルを下げ始めたことから、豊橋辺りでもう下降がはじまる。うす曇りの雲の下、眼下には見渡す限りの市街地が続く、東海から近畿、阪神に至るこのエリアがどれだけ発展したのかと思う。下層の雲の下にでると蛇行した大河がみえ、琵琶湖から流下する淀川である。河を見るとその地方に来たことを実感する。河に依存してきた暮らしがあるからだろうか。始めてなのに、なにか見慣れた伊丹へのアプローチを経てタッチダウン。間髪を入れずにその制動力に驚いた。緑濃い松本空港から僅か50分にして別天地。伊丹空港の国際空港と銘打つだけの賑わいに驚いた。

( 龍神温泉へ )

 やっと息子と合流し、大阪市内を通り抜け、紀伊半島に向かう。折からの雨模様だが笠をさした自転車と、雨に濡れても平気なバイクの多さに驚く。関東平野の安定した天候に対し、古来から変わりやすい天候になれているという見方もある。
 安さ命、といった看板のスーパー。パチンコ屋の多さ。浮浪者じみた暇人。。大阪でいつも思うのはその猥雑さ、よく言えば活気である。その光景は関東にはないものだ。建物や道路や車など、社会の入れ物の構造は同じだが、そこに居る人たちがどこか目立つ。そのひとり一人が目的をもって、ありのままが見えている気がする。半面の関東、特に東京は単なる通行人としてしか見えない。。なにも東京の人が没個性という事はないだろうに、そう見えるのは何故だろう。おそらくそれは流儀の違いであって、他人には詮索しない、立ち入らないのが近代のマナーだ、みたいな風土ではないだろうか。勿論それは私がそういう先入観をもって見るからであって、そうみればそう見えるものだとは思う。
 堺の界隈を通るので仁徳天皇陵をぐるり一周した。これだけのスケールの古墳が市街地に現存するのはさすが歴史の関西だと思う。

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市街地を離れ山地をかなり登るといきなり山上の市街地が出現する、真言密教の聖地高野山。折から下校の時刻で小学生がいっぱい居る。中高大学まであり、まさに自己完結の宗教都市がこの山中にあることに驚いた。

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紀ノ國の豊かな山並み 霧湧く谷筋

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日高川上流の集落 人の気配なく廃村か。。これも日本典型

 龍神温泉は中里介山の時代小説「大菩薩峠」の舞台として登場し、その展開の見事さに惚れ込んだ。名作は必ず舞台設定がいい、という実感がある。虚無感に心を病んだ剣士、机龍之介が主人公であることが、この長編のユニークな魅力になっている。時代物は上から目線のものが多いが、この物語は江戸末期の庶民感覚が見事に描かれていて、中里介山はこのリアリティをどこから得たのかと思う。
 サイエンスやノンフィクションを好み、小説の類を虚構として軽んじてきた私が、名作の舞台を訪ねるというミーハーな事をするのは自分でも意外だった。
 砂の器の和賀英良を偲び山陰の亀嵩を訪れたときもそうだったが、霧の無人駅で自販機が一つあるだけの、何もすることのない静寂な時間だった。ここから彼の栄光と破滅への旅が始まったことへの哀切の念は、むしろ虚構であるが故に想像を託せたのだろう。これが事実だったら、その真実は一つであり、ロマンを託す余地は遥かに少なくなる。

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おばあさんが乗って発車する 高野山行きバス

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 龍神温泉はネームバリューもあり、そうとうな歓楽街かと思ったら谷あいのネオン一つない温泉だった。この歴史ある温泉の意表を突く質素さ。。さすが行楽の先輩の関西、そのセンスを感じた。

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 折しもの雨、誰もいない道を歩く。お堂のある階段を上がって行くと草生す山道になる。
夏のおわりの疲れたような草の中に「曼荼羅の滝へ」という標識がある。この滝で目を治そうと机龍之介が草露の中を上がって行ったのか。。そんな想像が、まるであったかのようなリアリティで迫ってくる。

( 伊丹からの飛行 )

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 むかし「芦屋からの飛行」という映画があった。そのタイトルが気に入った。
伊丹空港はRW14R/32Lの3000mと1800mの14L/32Rの二本の滑走路を持つ大空港であるが、何度訪れても32L.32R側(南側)の離発着しか見たことがない。北西側に山があること、騒音問題、アプローチの利便性から14L.R(北側)での運用は5%もないらしい。
 松本行は一日一便。その往路である0840発となる。搭乗しRW32の南エンドへタキシングする。いつも見ていた公園を探したが、どうやらプロペラ機用の32R、短い側のエンドでストップした。
ERJ170だと1800mあれば充分な長さらしい。ブレーキを離すと例の鋭い加速をするが松本を出るときより長く思ったのは夏の午前であり、海側からの微妙な追い風だったろうか。

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( 尼ケ崎周辺から陸橋を渡ると息子の勤務先あたり。。
このために飛行した(笑) 私には大切な俯瞰展望 )

 北西の六甲山系を避け、レフトターンする見慣れたパターンに、いま自分が乗っている実感。
ついさっき走ってきた道路が、瞬く間に遥か眼下に見える、送ってくれた息子が、帰路に見上げているだろうか。ターンを終え南下するころ、武庫川と宿泊した建物を発見したかったが、既に高度が上がり、雲の下に隠れてしまった。

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更に左よりに進路を取るころ、紀伊半島の全貌と思われる山地が見える、その遥か南の果てに、あの龍神温泉がある。山深いこの巨大な半島は、私にとって未知な魅力を湛えている。もう少し若かったなら(笑)と思う。
 薄い雲の層の上にでると、富士山が見えた、密かにマッターホルンを目標とし、高山病体質を克服しようと20回近く頂上ビバークの夜の深淵、薄い酸素と鬱な心による虚無感は、「目を治して何とする、何のために。。」さながら机龍之介の灰色の世界のようであった。
 遥か先まで見えるとき、その距離感は過去が見えている感覚に近い、見えるものはすべてが過去のものである、いま起きたことはすでに過去のこと。。距離と時間は物理学上切り離せない。

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 松本への飛行では右側の南アルプスが愉しみだったが、すべて雲の中だった。その代わりの雲すれすれの飛行、限りない透明と純白。極めてデリケートな、空が透けて見えるうすい布のような雲が後ろへと行く。そして同じものは過去にも未来にも、この世で一回きりのもの。。ピュアとはこのこと、と思えるような。。これだけ現実離れした境地が空にはある。 それは快晴に恵まれた地上や山岳景観を遥かに勝るものと思う。

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木曽路は山の中

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これだけ山が見えていて 上空から特定できないのが悔しい

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伊丹周辺とは全く違う眼下の田園と宅地

  松本へはやはりRW18(北側)から着陸した。エプロンを行き過ぎることなく直行できたのは向かい風の強さからだったろうか。伊丹を発ち僅か45分にしてもう松本にいる。。改めて飛行機の早さ、時速800kmの早さを思い知った。
 1010の折り返し便の上昇パターンを見ることにして対岸の公園に行った。加速の鋭さは見ても分かる。やはりレフトターンして高ボッチ山方面へ。さらに北へぐんぐん上昇して行き雲に消えた。
しばらくして高空にジェット音。見上げると白い雲からもう、けし粒ほどに上昇したERJ170が南下してゆく。ああ、伊丹へ戻って行くんだ。。あれがまさにJA215J.つい今しがた前から2番目に座って空を眺めた機体。。あれが高い空を南へ向ってゆく それは飛行機の見え方として新たなる畏敬の念を感じた。

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中央にけし粒のようなJA215J もう高度3000mか。。 

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伊丹へ帰ってゆく  良いフライトを。。

執筆者: kazama

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